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知恵袋の質問に回答する

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12157746982
※投稿しようとすると英文サイトに飛ばされて投稿できないので。

a.光武帝及びその家臣たちは全能力値90越えの化け物だらけ
 これがおかしいです。別に曹操、劉備、孫権あるいは劉邦の部下と比べてもやや優秀という程度で、極端な差はありません。

b.新王朝の武将たちは能力値60代の凡将だらけ
 これも変です。新王朝を倒したのは更始帝です。光武帝じゃありません。光武帝が戦ったのは、新王朝崩壊後に数十の群雄に中国が分割された乱世です。従って新王朝の武将はそもそも敵ではありません。そして敵対群雄にはかなり強力な敵がいます。

①「光武帝は主人公になっても面白くない」
 これは三国志を求めてしまうからです。すなわち、「光武帝は三国志にしては面白くない」と言っているだけです。光武帝は天下統一したので、三国志のような展開にならないのは当たり前で、本人がチートレベルなのは唐太宗や明太祖と同じです。
 光武帝の物語は、勇将の対決の要素は三国志と変わりませんが、孔明と仲達のような知恵バトルがなく、かわりに二十八星宿や予言書のようなファンタジー要素が強く、陰麗華とのラブストーリーがあるなど、方向性がかなり異なる物語です。中国では『秀麗江山』というタイトルで、劉秀と陰麗華とのラブストーリーが小説や連ドラとなり、まずまずのヒットを記録しています。

②「主人公になっても盛り上がらない」王朝の創始者
 確かに司馬炎は盛り上げるのが難しいと思いますが、どんな人物を選んでも結局は作家の腕次第でしょう。
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中原の鹿捕獲レース、エントリー表

光武帝の物語を盛り上げるには、中原の鹿を追った群雄を特徴付けて覚えてもらう必要がある。劉秀、王莽、緑林、銅馬、赤眉、王郎、鄧奉、秦豊、劉永、張歩、董憲、李憲、彭寵、隗囂、公孫述、延岑、廬芳、徴姉妹あたりにキャッチフレーズをつけて宣伝するのがよい。

では、中原の鹿捕獲レースにエントリーした人たちを見てみよう!

1.劉秀
後漢建国の光武帝劉秀。昆陽の戦いの伝説の超戦士、劉家の血筋を引く美貌、太学のスーパーエリート……無敵のスペックを持つこの男にも重大な弱点が!いい人過ぎること!困った人を助けずにいられずに、死亡フラグを自らかき集めて回る。楽此不疲!面白けりゃエナジーはインフィニィィット!

2.王莽
古代の社会主義者、儒教復古主義の新の皇帝王莽。無敵の権力闘争能力を持ち、人間すべて出世の道具、息子を皆殺しにしても平気、だって予備があるもん!禿禿言うな、カツラつけて何が悪い。高句麗は下句麗だ!この威斗が目に入らぬか!九虎将軍が討伐だ!儒教経典の通りにすれば天下泰平!

3.劉玄
緑林のアル中皇帝、本当の後漢初代皇帝、更始帝劉玄。王莽を倒したのは俺だ!文叔じゃねえぞ!韓夫人!宴会だ!酒盛りだ!王莽も酒は百薬の長って言ってたぜ。あれ、手が震えているのは酒のせいかな?お前ら『秀麗江山』を読むんだ!凄い美男子で狂気の天才策士なんだぞ俺は!

4.王郎
口先三寸で皇帝を詐称した占い師、河北の漢帝劉子輿こと王郎。銅馬に怯える河北豪族をすっかり騙して皇帝となり河北を席巻、劉秀に賞金十万戸をかけて捕縛しようとする。うわっ烏桓突騎ってなんだそれ、それ中原で使うのは反則だろ、卑怯者め!俺の人相ってやっぱり皇帝だよな?

5.無名の銅馬兵
後に光武帝軍の中核となった銅馬軍。河北を流浪し豪族を恐慌に陥れた大軍団。劉秀との戦いの果てに、その義侠に打たれ飛び出したのが成語、推心置腹。名も知れぬ銅馬兵の叫びこそが、後漢王朝と光武帝を生んだ。蕭王は赤心を推して人の腹中に置く人だ、この人のために命をかけようじゃないか!

6.劉盆子
くじ引きで決まった赤眉の皇帝、牛飼い少年、漢の建成帝劉盆子。樊崇のおじさんが怖いよー、何でみんな乱暴なの、人肉食べるのやだ、二百年前の死体とセックスなんてしないでよ。こんな人たちの皇帝なんてやだ-、お兄ちゃん、助けてー(涙)。

7.鄧奉
二十八将を次々と蹴散らす魔神戦士、陰麗華の元護衛隊長、破虜将軍鄧奉。呉漢を蹴散らし、賈復に重傷を負わせ、朱祜をお持ち帰りする無敵の超戦士。二十八将が束になってもかなわない魔神が、光武帝の怒りの猛攻撃を引き出す。陰麗華は俺がもらっていくぜ!

8.劉永
劉秀よりずっと名門で血筋最高、梁漢帝劉永。前漢景帝の弟梁孝王の八世の子孫。河南で強大な勢力を築き、斉王張歩、東海王董憲を左右に従え河北の劉秀と対立する。劉秀?どこの誰だその馬の骨は?下賎どもは我が名にひれ伏すがよい!

9.秦豊
反新挙兵の最古参群雄、楚黎王秦豊。田戎、延岑と組んで岑彭と対決する。いっとくが緑林の反乱なんて俺の後輩だぜ、ぽっと出の雑魚と一緒にするな。岑彭が討伐に来た?紛らわしい名前の奴をよこすんじゃねえ!口喧嘩なら誰にも負けねえ。死ぬまであいつらを罵ってやるぞ!

10.張歩
撃破数最高の東方の豪傑、斉王張歩。20万を越える大軍を擁して天下を狙う。教えてやろう、俺が赤眉を後ろから攻撃して追い出したから、やつら長安に向かったんだぜ。耿弇の兄ちゃん粋がるんじゃねえ、お前の兵力なんて赤眉の十分の一もいねえじゃねえか、俺様の力を見せてやるぜ。

11.董憲
緑林の勇将劉秀に並ぶ二大名将、赤眉の智将、東海王董憲。新の猛将廉丹を討ち取り、新朝崩壊の第一弾を与えた名将。劉永、張歩と組んで二十八将を翻弄したため、ボスキャラ光武帝を召喚してしまい、大打撃を受ける。最後の奇策は劉秀と一対一で対決すること!洛陽で会おうぜ!

12.李憲
王莽時代の廬江太守、海賊退治で名を挙げた名将、淮南皇帝李憲。俺を討伐しに来た馬成って誰だ、知らねーぞ。そんな雑魚相手にできるか、門を閉めて居留守を使って寝とこ。あれ、軟禁されてる。腹減った買い物行きたいから開けてくれー。

13.彭寵
元光武帝軍でありながら王位を目指した叛将、燕王彭寵。なぜです陛下、河北放浪中のあなたを支えて兵糧を供給したのは私ですぞ!私には王がふさわしい!悪いのは全部、朱浮です。おーい、呉漢、蓋延、王梁、帰ってこーい!

14.隗囂
人望抜群で超人気の天才文章家、朔寧王隗囂。文を書けば喧嘩中の光武帝以下、国民全員が回し読みするほどの大作家、一世紀中国の村上春樹。みんな隗王のために死んで後悔なし!チベット騎兵を動員した無敵の軍団を持つ。おい、馬援、本当に劉秀ってそんなに凄いのか、嘘だろ?

15.公孫述
神の如き謀略家で知勇兼備の万能群雄、成蜀の龍興帝公孫述。いち早く貨幣を発行し経済復興を達成し、延岑、田戎、隗囂と組んで天下をうかがう。影の暗殺団を率いて、気に入らない奴は闇に葬る。中原の鹿大会決勝戦に勝ち残り、光武帝と対決する。天子に降伏なし!

16.延岑
赤眉軍に致命傷を与えた天下に名高い勇将、武安王延岑。公孫述と組んで「男児たるもの死中に生を得ん!」の名言を残す。鄧禹、馮異、耿弇、朱祜、祭遵、李通、王覇、岑彭、臧宮、呉漢と激戦を繰り広げる。くそっ、無敵の俺様がなぜ負けてばかりなんだ?史書の記述は嘘だっ!

17.廬芳
匈奴と連合し、漢の末裔を詐称した詐欺師、漢帝劉文伯こと廬芳。匈奴の強力な騎馬部隊に、勇将賈覧を擁する。二十八将の相次ぐ襲来も次々と打ち破って追い払ってしまう。哈哈哈!無敵無敵!つーか、強いのは俺やなくて、やっぱり匈奴?そろそろ降伏しよっかな……

18.徵側姉妹
ベトナムのジャンヌダルク、民族と智と勇の象徴、徵側、徴弐の双子姉妹。虎退治で名をあげ交趾太守の蘇定を殺して挙兵、交州を制覇、南越の女王となる。迫り来る馬援、劉隆の水軍騎馬隊vs.女王姉妹の象部隊の対決や如何に?民を虐げ民族の風習を尊重しない悪徳役人は許さないわ!

光武帝伝ノーカット版(臨時公開中)

光武帝伝ノーカット版(臨時公開中)

光武帝の古典的理解の一例を発見してしまった……

風篁楼:趣味の東アジア史抄事典/東漢 光武帝

これはない。一体、何十年前に書かれた本を参考にしているのか?昔の解説書は原典を読まずに適当に書かれているのに、それをそのまま鵜呑みにしたらしい。後漢に関してはWikiの方が遙かに正確。一昔前の光武帝の解説は共産主義思想の影響で悪の地主階級(笑)という前提を持って『資治通鑑』や『十八史略』の表面の文字を裏読みして書かれていることが多く、『後漢書』すらまともに読んでないんだよね。

> 豪族の自給的荘園経営が伸長したことで大規模な広域交易が衰え、賦税の布帛納化や俸禄の半銭半穀化など、貨幣経済から実物経済への後退が進んだ。

実際の経済流通量は前漢より後漢の方が圧倒的に多いと言われている。そもそも前漢の貨幣経済はそれほど発展していなかった。実物経済と言っても、その実物もちゃんと貨幣として使えるように規格化されていた。後漢は農業を捨てて商業に走る人が多すぎて社会問題になったと『潜夫論』で指摘されるほどなのだ。後漢の経済後退という宮崎市定の説を今も真に受けている研究者はほとんどいないと思う。

> 謹直な為人りは兄の劉縯から、高祖の兄の劉仲に比せられた。

農業に熱心なのを馬鹿にされた。褒められたわけではない。

> 軍事の縮小は匈奴への劣勢となって15年(39)に幽州・幷州の北部を放棄し、

戦乱で放置されていた内地に住民を移住させたもので、軍隊は駐留しているのだから、放棄とは言えない。

> 21年(45)には西域都護復置の要請に応じずに匈奴の西域支配をもたらし、

これは歴史的には外征より内政を重んじた非常に賢明な判断と賞賛されていたが、現代中国にウイグル問題があるため西域放棄を非難されるようになったもの。

> 宣帝以来の快挙とされた22年(46)の日逐王の来降も、積極的には利用しなかった。

日逐王の降伏について家臣の多くは虚偽を疑いあるいは国内の疲弊を考えて拒絶せよという意見が多かったが、光武帝は耿国の意見に従って日逐王を南単于として受け入れた。このため北匈奴、烏桓、鮮卑などの心配がなくなり、国境が安定したと賞賛されている。積極的に利用しかなかったという非難は、匈奴に攻勢を掛けなかったことだが、ここにも現代中国の領土問題が反映されているのである。

> 又た大姓・外戚と官吏との癒着が既に進行し、

進行したのは章帝の頃で光武帝の頃ではなかった。光武帝と明帝の頃の大姓外戚に対する弾圧は強力で、酷吏も多くむしろ逆の意味で反対されていたのである。

> 近代になって称賛される奴隷解放令も、発令が頻繁なことから実効性は疑問視される。

これは実に初歩的な間違い。奴婢解放令は光武帝即位の初期、領土が小さなときから出ており、新しい領土を平定するたびに解放令を出していた。解放令なのだから、自国内にしか効果はなく、領土を拡大するたびに出さざるを得ないのは当然のこと。

> 「官になるなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」とは劉秀に因んだ謡言で、即位後も「執金吾になれればそれでよかったのだ」と述懐したという。

即位後にそれを言った記録はない。これは『三国志』の曹操の晩年の回顧談と混同したものと思われる。

> 職事には厳酷で、韓歆・欧陽歙のような潁川以来の譜代でも刑戮を免れず、

韓歆、欧陽歙ともに更始帝からの降伏組で譜代などではない。おそらく原典の解説書は劉秀が潁川にいたときに帰参した人たちと誤解している。韓歆は王郎平定の後に河内郡に進出したときに更始帝から降伏、欧陽歙は河北平定後に河南郡に進出したときに更始帝から降伏したもの。南陽や潁川出身の家臣団には、光武帝の旧臣と更始帝からの投降組があるのだが、昔の本はこの区別ができていなかったのだ。二人とも広大な土地を持つ大豪族であり、全国土地人口調査(度田)に反対、あるいは妨害したための処罰と見られている。

光栄式数値の説明 劉秀の場合

   統率  武力 知力 政治 魅力
劉秀  94  99  86  100  92

解説

 統率力は高い。劉秀は挙兵当初から軍紀の高さで知られていた。

 武力がなぜこんなに高いと見るべきかは比較して考えるとわかる。劉秀が敵中に突入して戦ったのは少なくとも3回あり、それは王邑との昆陽の戦い、鄧奉との小長安の戦い、龐萌との桃城の戦いである。そのときの同行した将軍を確認すると、
 昆陽の戦い:鄧晨、王覇、任光、傅俊、馬武、臧宮、劉隆、趙憙。
 小長安の戦い:岑彭、耿弇、賈復、傅俊、臧宮、朱祜、王常、劉嘉、耿植。
 桃城の戦い:賈復、銚期、耿純、李忠、邳彤、堅鐔、蓋延、呉漢、王常、王梁、馬武、王覇、そして隗囂の使者である馬援。
 こういうもの凄いオールスターメンバーでなぜ劉秀自らが突入して戦うのか考えると、劉秀が一番強いからと考えざるを得ない。しかも劉秀が戦うと部下の活躍がそれほど目立たなくなるのだ。

 知力はみな過剰評価している。劉秀の知力のエピソードは多く未来予言の形を取っている。部下の将軍の失敗を予言するなど。しかし本当の知力のエピソードというのは、それにより未来の失敗を回避するものであって、そのまま失敗するのでは予言に意味がなく、言っていないと同じ。むしろ劉秀の予言的発言は単に劉秀に発言数が多いことと、外れた予言が史書に採用されていないだけと見るべき。
 また隗囂戦での繰り返された戦略ミスや、廬芳の扱いの失敗とか、戦略眼の悪さを考えるべき。あるいは統一戦争で、平和的に降伏させた敵が少なく中国全土を焦土してしまったことなど、謀略的能力の低さは明白。

 政治力は抜群に高い。特に全国土地人口調査である度田は、昔は失敗扱いだったが、近年はほぼ大成功という判断に転換されている。国全国に展開された人権政策から行政改革までねばり強い政治力は圧倒的。おそらく一個人主導の改革としてはその数も規模も史上最大級でしかもすべて成功している。政治力って忍耐力なんだなあとしみじみ思う次第。

 魅力は実は相当低いんでないかと思う。挙兵前の部下の数を考えると、劉備も曹操も劉邦もいっぱいいるのに、劉秀は事実上部下が一人もいないのだ。朱祜は劉秀でなくて兄劉縯の部下だ。劉秀を評価していたのは、鄧禹と鄧晨の二人だけで、それも部下ではなかった。
 もちろん昆陽の戦い以降、強烈なカリスマ性を見せる。河北で流浪したときの二十八将が吸い寄せられるように集まるのは圧巻だし、皇帝なってからの有能な文官の多さも驚異的。
 ただこれは魅力と言っても、武力が強烈だから武人が集まり、政治力が圧倒的だから文官が集まったという、能力に対する魅力であって、その能力を発揮して初めて感じられるもので、何もしなければ感じられないものであるから、能力としての魅力とは言い難いと思う。

最近買った光武帝本


『刘秀全传:从一介布衣到东汉开国皇帝』
王惠敏
华中科技大学出版社(2012)


(劉秀全伝:一介の民間人から後漢開国の皇帝に)
中国の光武帝解説書。最新の内容っぽいので期待。



『最有本事的皇帝(第1部):天下雄主(天下雄主治世读刘秀)』
雷振
北京时代华语图书(2011)


(最も有能な皇帝:天下雄主)
アマゾンのレビュー数にびっくり。中国の光武帝人気は本物かな?




『最有本事的皇帝;治世读刘秀(第2部):荡平四方』
雷振
北京时代华语图书(2012)


(最も有能な皇帝:掃平四方)
主に中原統一まで



『最有本事的皇帝大结局:内圣外王』
雷振
北京时代华语图书(2012)


(最も有能な皇帝:内聖外王)
隗囂戦と公孫述戦が中心。統治の話は少ないみたいで残念。



『光武大帝:公元一世纪大汉再起』
张雪松(作家)
春风文艺出版社(2010)


(光武大帝:西暦一世紀大漢再起)
80年代後半生まれの作家の光武帝小説。全然途中みたいなんだが……ここから長く続くものなんだろうか?



『汉史不得不说的事儿:东汉卷 光武帝』
郑国明(作家)
广西人民出版社(2010)


(漢の歴史で言わないわけにいかないこと:後漢巻 光武帝)
光武帝の小説。





『광무제와 이십팔장』
이재석(中国文学)
상생출판(2010)


(光武帝と二十八将)
韓国の光武帝本。最初に道教における光武帝の28将と唐太宗の24将の話があったりする。道教ではなぜか萬修が重要な役割をしているようだ。二十八将の解説など。





『광무제 유수와 이십팔장수』
김창수(作家)
하문사(2010)


(光武帝劉秀と二十八将)
韓国の光武帝本。こちらは小説。千ページ近い大作。

新、後漢初期の武将光栄風数値

なんかまあ能力を5つで表すのは無理があるなと思いつつ適当に考えてみた。

   統率  武力 知力 政治 魅力
劉秀  94  99  86  100  92
鄧禹  80  76  80  80  88
呉漢  88  92  82  40  86
賈復  82  96  60  60  76
耿弇  84  92  96  66  68
寇恂  76  76  98  90  82
岑彭  96  86  82  80  88
馮異  94  80  92  82  86
朱祜  84  86  63  46  60
祭遵  99  82  80  70  76
景丹  88  90  60  70  80
蓋延  80  92  60  40  66
銚期  90  94  70  76  78
耿純  76  78  80  84  68
臧宮  80  93  76  20  76
馬武  66  97  46  32  60
劉隆  70  76  60  62  72
馬成  92  64  78  72  48
王梁  68  82  56  60  54
陳俊  82  88  86  80  76
杜茂  70  62  60  68  66
傅俊  56  76  56  52  60
堅鐔  60  80  68  70  46
王覇  96  84  86  80  58
任光  62  64  70  72  60
李忠  64  68  46  84  58
萬脩  52  60  54  56  58
邳彤  60  68  62  86  60
劉植  70  72  52  50  70

来歙  90  88  88  72  88
竇融  86  82  80  84  92
王常  72  84  68  72  80
卓茂  20  10  42  80  84
馬援  86  90  92  90  42

劉縯  82  90  72  74  88
鄧奉  94  100  66  42  78
董憲  92  88  94  68  88
樊崇  80  84  62  42  86
劉玄  62  78  60  60  92
朱鮪  84  72  66  70  78
張歩  80  90  72  62  80
王郎  66  40  70  56  90
公孫述 82  80  80  84  92
隗囂  80  68  72  78  94
劉永  64  56  70  66  92

王莽  36  32  86  40  100
王邑  76  70  50  46  74
厳尤  62  60  90  58  56
廉丹  66  82  64  32  60

自分の力を使うか、他人の力を使うか?

項羽は自分の力を尽くしたが、劉邦は他人の力を使ったので勝利したという。ところが劉秀は自分の力を尽くして天下を取った。この違いは何か?

それは何のためかが違う。項羽は自分の望みのために自分の力を尽くし、劉邦は自分の望みのために他人の力を使い、劉秀は他人の望みのために自分の力を尽くした。

自らの野望のために天下を取った者は、天下を取ってむしろ後悔する。好き勝手振る舞うことができず、窮屈で気苦労が多いからである。こんなことなら皇帝になったりするんじゃなかったと歎くのだ。他人に見下されるのを嫌い、他人に勝つことばかり考える人はそれ故に皇帝まで登りつめるが、いざ皇帝なると皇帝はもはや誰かと競争する存在ではないのである。

劉秀は皇帝になるのを嫌がり、時間と場所を変えて8度も皇帝になるように頼まれた末に皇帝になった。しかしいざ皇帝になると仕事熱心で、楽しいから疲れないというほど、皇帝であることを楽しむことになった。根っから世話好きで、人に指示することよりも、自分で他人に何かをしてあげることが好きな劉秀は、民衆の世話をすることを面白く感じたのである。

この劉秀という男の皇帝として適性を見抜き、真っ先に皇帝になるべきと進言した禹はやはり驚くべき人物であると思う。

もちろん、最近も光武帝について考えている

『东汉光武帝刘秀大传』は光武帝マンセーの人でないと読んでもそれほどおもしろくないかも。間違いも少なくとも三カ所以上ある。

個人的には黄留珠の『刘秀传』もお薦め。また後漢について正しく知りたい人には袁延胜の『中国人口通史 东汉卷』をお薦めする。数字に徹底してこだわる本格的な研究書。実はこの本を読むと光武帝の評価がさらに高くなる。なぜから全国土地センサスと奴婢の人権の平等化が本当に実施されていたことがわかるため。

『後漢書』そのものは、そのまま読むと光武帝は地味で平凡な君主に見えるはず。私のように『後漢書』を何度もしつこく読んで、かつひねくれたものの見方をする人以外に、『後漢書』を読んだだけで光武帝をおもしろいと思う人はあまりいないと思う。私も初めて『後漢書』を読んだとき、光武帝に地味でつまらない印象しかなかった。

ネットで光武帝がすごいと言う人の半数以上は私のホームページ(10年前からある)を読んだからだろうし、光武帝が面白可笑しいという人の99%は私のホームページの読者のはず。予備知識なしに『後漢書』を読んだ人はみんなつまらない人と感じて興味を持たない人が多い。東晋次氏なんて光武帝を書いてって頼まれたのに王莽を選んだぐらいだし。

光武帝は個人思想としては道家、政治思想は法家なので、儒家たる史家にとっておもしろい人物ではなく、よく読めば『後漢書』のいろいろなところで否定的に描かれている。そして無理矢理に儒教的聖王の枠に押し込んだため、長所が全然見えなくなってる。光武帝の本当にすごいところはただ『後漢書』を眺めることでは理解不可能なのだ。というのは内容が本記にまとめられておらず、列伝に分散させてあるから。儒家の好みじゃないから大事なことは隠されているのである。光武帝は褒められるべき部分が全く賞賛されていないのだ。

光武帝の馬武への言葉は自首しなさいという意味。日本の研究者は多く誤訳してるけど、さすがに中国の黄留珠氏は正しく自首と理解している。
「且勿為盜賊,自致亭長,斯可矣。」
「しばらくは盜賊を為すなかれ,自ら亭長に致りて,これ可なるかな。」
「当分は盗賊家業を辞めて、交番に出頭して自首すれば、まあ十分かな」という強烈な宴会でのツッコミフレーズ。自致は検索すると自ら出向くの意味とわかる。亭長は今でいう交番のニュアンスに近い。

馮異は戦うときも後ろにいたわけではない。
「非交戰受敵,常行諸營之後」
「戰いを交え敵を受くるに非ずば,常に諸營の後を行く」
敵を迎えて戦うときでなければ常に他の軍の後ろにいたということ。

光武帝の若い頃の有名な台詞
「何用知非僕邪?」
「僕に非ずと知りて何に用いんや?」
みんなが「大臣の劉秀なのか?」と蔡少公に聞いたので、「僕じゃないことがわかったらこの予言の使い道ないじゃん!みんな僕を皇帝にする気がないの?」という痛烈なボケジョークを入れたということ。

光武帝は郭聖通を婚姻したが劉揚の兵力をもらったわけではない。というのもさらに光武帝が前進したとき兵力が数万人になったと書かれている。劉揚は十万の兵力を持っていたのだから、合流していたのなら数万人なわけがない。河北での光武帝の主戦力は、突騎と銅馬の二つであって劉揚の力はあまり関係がない。

後漢洛陽は二百万都市か?

 後漢王朝は商工業が大きく花開いた時代であった。当時書かれた『潜夫論』には、農地を捨てて手稼ぎに出る人が多かったこと、首都洛陽では農民は人口の10%でしかなかったことが記されている。
 農業をやめて商工業へと転職する人が多く、首都洛陽は遠く出稼ぎに来る人であふれかえっていた。洛陽の人口は、戸籍記録では30万程度にすぎないが、ここには三万人を数えた学生や、大臣とその家族、軍隊などは含まれていない。あくまでも洛陽に農地を持つ本籍地が洛陽の人の人口である。仮に本籍地のある人の半数が農業をやめたとしても農民人口は15万であり、その九倍の商工業人口を合わせると洛陽の人口は150万人となる。実際『後漢書』には、後漢末に董卓が洛陽を破壊したとき、洛陽には数百万の人口がいたことが記されているのだ。
 歴史上の有名な百万都市には、エジプト王朝のアレキサンドリア、ローマ帝国のローマ、唐王朝の長安、日本の江戸などがあるが、その国の人口は3000万~5000万人程度であり、みな後漢より小さな国である。商業の発展した後漢の首都洛陽の人口は百万以上、おそらくは二百万近かったと考えてよいのではないかと思う。

最近買った中国関係の本


『中国人口通史 东汉卷』
袁延胜
人民出版社(2007)


後漢の人口構成から社会を研究する本。
相当に綿密な研究書。




『东汉风云人物』
惜秋(台湾的作家)
广西师范大学出版社(2007)


光武帝の家臣の伝記集。



『汉代的信仰、神话和理性』
鲁惟一(英国汉学家)
北京大学出版社(2009)


漢代の人の思想と思考を知る。



『汉代农业:中国农业经济的起源及特性』
许倬云(历史学家)
广西师范大学出版社(2005)


漢代の生産基盤を知る。



『汉代田庄研究』
杜庆余
山东大学出版社(2010)


漢代の生活の様子を知る。



『中国心理学史』
高觉敷(心理学家、心理学史家)
人民教育出版社(2009)


中国哲学の心理研究の歴史。




『中国哲学简史(英汉对照)』
冯友兰(中国现代哲学家)
天津社会科学出版社(2007)


右ページが英語、左ページが中国語で対照して読むと、
中国語と英語の勉強になる。




『远古中国医学史』
严健民
中医古籍出版社(2006)


漢までの医療史。漢代が含まれていないのがちょっと残念。



『常用汉语虚词英译』
孙瑞禾
商务印书馆(2008)


中国語の虚詞をどう英訳するかの辞典。




『中國語虛辭쓰임辭典』
왕자강
진명출판사(1995)


韓国語の中国語の虚詞の使い方辞典。

最近読み終わった光武帝の研究/概論書

まだ私の知らないことが多少あった。どの本も間違いが多少あるのがちょっと残念なところ。

『汉光武帝刘秀传』
周淑舫
吉林人民出版社(2010)


フルカラーの光武帝伝。
小説も少し混じっている感じ。
奉の反乱の話があるのに結末がない!
統一までの話がほとんど。
三国志演義の光武帝版という印象。



『光武帝』
张树
中国社会科学出版社(2007)


列伝形式の光武帝伝。
民話もたくさん入っている。
劉伯姫の武勇伝が詳しい。
おそらく民話があるのだろう。
三番目の女性の許夫人の伝記まである。



『刘秀传(平装)』
黄留珠
人民出版社(2003)


詳しい研究書。
中間的な評価を与えている。
なかなか良書であると思うが、
共産主義歴史観が少しうざい。



『汉光武帝刘秀』
元庆
华文出版社(2010)


小説も少し混じっている。
光武帝即位までが詳しい。
即位から統一までは少ない。
隗囂戦詳しく、公孫述戦はあっさり。
三国志演義の光武帝版という印象。



『汉光武帝大传』
安作璋・孟祥才
中华书局(2008)


典型的な共産主義歴史観による光武帝伝。
能力は評価されているものの、
大地主扱いなので、不公平な印象が強い。



『东汉光武帝刘秀大传』
臧嵘
人民教育出版社(2002)


共産主義歴史観なしの光武帝伝。
非常に高い評価が与えられている。
光武帝ファン必見必読書!

东汉光武帝刘秀大传

『东汉光武帝刘秀大传』
臧嵘(历史家)
人民教育出版社(2002)


これは凄い。というか、私のホームページの主張とほぼ同じだ。もちろんこっちの方がちゃんと論文してる。私の言いたいことを完全に言い尽くしてくれている。後漢の農地面積が前漢の2.8倍というのは驚きだ。おそらくGNPで言えば前漢の3倍以上にはなるはず。やっぱ陛下の作った国は全然違うぜ!

リンク、大歓迎なんです!

"光武帝"で検索してブログやヤフー知恵袋などを見ると、光武帝についての記事や問答を見かける。その内容を見ると、どうみても私のホームページを参照しているとしか思われない記述がたくさんある。それなのに誰一人として私のホームページへのリンクをつけない。なぜなんだろう?

"やる夫が光武帝になるようです"を推薦する文章はたくさん見かけることから、どうやら、やっぱり私のホームページには重大な欠陥があるような気がする。何だろう、私のサイトは光武帝について隠しておくべき黒歴史なんだろうか?

明らかに参照して書いているのに、リンクをしてくれないのは、もの凄く残念。グーグルでの検索などもリンクの数で決まるし、リンクはしてくれればしてくれるほど嬉しいに決まっているのに……。そもそも最終的に出版を目指している原稿の原案だから、目立てば目立つほどよいんだけど。それに出版されたとき、ネットから私が盗作したと誤解されるじゃないか、これじゃ。みんな冷たいなあ……

南北戦争と光武中興の比較

最近、アメリカの南北戦争の洋書を多数読んでいる。南北戦争は光武中興の戦争と共通点が多く面白い。国家の規模もほぼ同じだし、分裂した祖国の統一戦争であり、奴隷解放が政治の争点になっていることなど。

光武帝の小説を構想する上で問題なのは、女性の登場人物やオリジナルキャラクターをどう設定するか。後漢書とその情報だけではやはり貧弱である。そこで考えているのが南北戦争の登場人物を参照するという方法である。

リンカーンと劉秀にはかなり程度共通点がある。シャーマンと呉漢の比較も面白い。シャーマンは北軍の名将だが南部で略奪し町を焼き払ったことで知られる。リンカーンの妻、メアリ・トッド・リンカーンのイメージは郭聖通に近いものがある。

南部に潜入して奴隷を北へ脱出させた黒人女性ハリエット・タブマン、男装して軍に加わりさらに変装してスパイとして南部から情報を回収したエンマ・エドモンド、アメリカ赤十字の創設者として戦場で治療にうあたっていたクララ・バートン、初の女医エリザベス・ブラックマン、黒人科学者ワシントン・カーバーなども、アレンジ次第で面白いと思う。

また白人青年の将軍グールドとその黒人部隊の話、映画のグローリーのような内容は、絶対使わないと損と思っている。

すっかり放置しているが光武帝について何もしていないわけではないということで。

朕、百姓に益するところ無し

 光武帝は非常に大きく誤解されている皇帝である。
 ひどいのは豪族に推戴された皇帝で権力が弱かったというもの。
 事実は完璧に正反対である。光武帝政権は、民衆の支持をベースにした軍事独裁政権で、皇帝の権力は中国史上最大であった。光武帝は自ら将軍として、中国全土の敵対するものすべて叩きつぶした武人皇帝である。統一後もその軍事力を完全掌握し続けた光武帝の権力は絶大であった。とにかく後漢王朝では、皇帝以外に一切権力がないのだ。そのため皇帝が若くして亡くなって幼帝が続くと、外戚と宦官が権力を握って争うようになった。皇帝の親戚と、皇帝の使用人が、皇帝の権力を借りることで権力をふるうようになったのである。
 後漢王朝の晩期になると、やっと豪族もわずかに力を持つようになる。そして政権を左右しようと挑んだ結果が、党錮の禁である。豪族たちはなすすべもなく権力争いに敗れて散ってしまったのであった。

 光武帝の凄さを挙げれば、武勇、平等、ユーモアの3つである。ところがこれらは儒教においては全く評価されないものである。そのため史書では武勇は目立たないように隠されて書かれているし、平等を示す人権政策もただ記録があるだけだし、ユーモアのエピソードも笑いよりも知恵のエピソードになっている。
 その結果、光武帝の凄さは知られずに埋もれたままだったのである。

 もちろん光武帝にも問題点があった。有名なのは怪しげな予言書を信じたとされることだが、これも誤解がある。他の時代において予言書を信じた者は、そのために誤った行動をして失敗するが、光武帝にはそれがない。というのも、光武帝は予言書を信じたのではなく、現実が予言されていると信じていたのである。そのため現実に合わない予言は無視されたのだ。光武帝は運命論者ではあったが、迷信深いと考えるのは誤りである。

 光武帝で本当に非難するべきことは、その統一戦争である。光武帝は中国全土を戦場にして戦って天下統一したため、凄まじい死傷者が出ていた。新の崩壊から後漢の統一にかけて、人口は半減し、二千万人以上の人命が失われたと考えられている。これを光武帝の責任と考えるのは明らかに酷であるが、光武帝が高祖劉邦のような謀略家であれば、このような結果にはならなかっただろう。もちろんその場合、高祖のような貧弱な政権しか樹立できないが、失われた人命はより少なく済んだはずである。
 私が敢えてこれを指摘するのは、明らかに光武帝自身がそう考えていたからである。光武帝は統一後、戦いという言葉を嫌い、戦争を徹底して回避するようになる。やむを得ない混乱で死傷者が出るとそのたびに死人が出たことを後悔していた。
 光武帝は徹底して民衆の立場に立ち、豪族などが権力をふるうのを嫌っていた。その政治は「以元元為首(民衆を最優先にする)」と呼ばれるようになる。
 光武帝の最期の言葉、死に際しての詔の言葉は、光武帝が最期まで民衆のことを考えていたことを示す、衝撃的な言葉で始まっている。
「朕無益百姓(私は民衆に何もしてやれなかった)……」

宮城谷昌光、光武帝連載始まる

 すべってころんでエンディング経由で知った。

 次の朝刊小説 宮城谷昌光作「草原の風」
 後漢王朝の創始者、光武帝・劉秀。武勇と人徳で、奪われた国を取り戻す英傑の若き日々が躍動していきます。

 おおっこれは!? 私の本も出しやすくなるかもしれん。版元に説明しやすくなるじゃん。期待大。
 でも宮城谷光武帝だと、すんげぇ真面目な人間になりそう。なんでも聖人化しちゃうもんな……
 それでも武勇とユーモアと、ポイントは押さえてある感じが嬉しい。この二つこそ光武帝の必須要素だもん。
 期待と不安が混じるのは宮城谷先生にユーモアという言葉がイメージできないことか……。
 しかし決して塚本光武帝(笑)のようなことにはなるまいて。
 ああっ、でもよく考えたら宮城谷先生だと、最初の2冊はきっと光武帝の親父の話に決まってる。劉秀くん出て来ないに決まっているうぅ!が~ん。

《秀丽江山》(中国の光武帝の小説)


だいぶ読み進んだ。
……いやこれ、無茶苦茶面白いぞ。
光武帝の話が元々武侠小説向きなのがよくわかる。

主人公の麗華はもともと現代で格闘技をやっていたので、
陰麗華の自室でトレーニングしてるのが可笑しい。
性格がかなりふざけている。
読んだ印象は、궁(宮)とらんま1/2を割ったような感じ。(笑)

管丽华完全是金庸式武侠脑子!
根本不听别人的话,老爱打架!

ストーリーの作り方がうまい。
設定は陰麗華が劉秀のことを好きということになっていて、
それを家族は嫌がっていることになっている。

タイムスリップした主人公は当然、
自分の好きな人がどんな奴なのか気になっているのだが、
これがなかなか会わしてくれないのだ。

宴会で出会ったいい男、はや劉秀と思いきや禹。
麗華がノシてしまう。劉秀が弱いのはおかしいと思った。

牛が出てきたので今度こそ劉秀かと思いきや、
これは馬武で、誘拐されてしまうし。さすがに馬武はヤバイ!

はっきり言ってラノベなんだけど、かなり面白い。

最強の勇者としての光武帝

 最近、光武帝の本質はその個人的武勇にあるのではないかと思うようになった。
 歴史小説では一騎打ちが描かれ、将軍の白兵戦も多いが、史実では総大将が白兵戦をするはずもなく、それがあれば負け戦の混乱の中のみである。
 ところが光武帝は将軍どころか皇帝として剣を手に敵中に斬り込み、敵を打ち破るのだ。
 君主なのに陣頭指揮して剣を奮った皇帝を捜してみる。
 後周の世宗柴栄は即位時の危機で陣頭指揮し、自ら斬り込ん戦っているが、部下の将軍たちの逃亡などの異常事態に際しての、皇帝の威信を確立するための緊急事態であった。
 唐太宗李世民も似た戦い方をしたが、皇帝に即位した後に自ら剣を取って斬り込むような暴挙はしていない。あくまでの父の李淵の将軍であった時期のみ前線に出ていた。明の永楽帝も即位前の内乱時のみである。そう考えるとこの光武帝の勇戦ぶりは特異な出来事だとわかる。
 後の残りは、前秦の苻生のような少し頭のおかしい暴君ぐらいである。
 皇帝という枠をはずして、無敵の勇士である西楚覇王こと項羽はどうか?
 しかしその項羽ですら、『史記』では最期の死ぬ間際、逃亡時の戦いでしか白兵戦をするシーンはない。光武帝のように戦いの山場で突入したわけではないのだ。
 すなわち君主なのに敵中に斬り込んで戦うのは、緊急事態か、頭の変な暴君か、無敵の勇士のどれかということになるのである。
 光武帝はどれほどの勇士であったのか? 光武帝の武勇はどのぐらいなのか?
 考えてみよう。小長安の戦いや桃城の戦いでは、家臣の猛将を勢揃いさせている。もし光武帝の武勇がたいしたことがなければ、ただ恥をかくだけである。もしも負傷したり、無様な姿を見せれば、家臣たちはこのぐらいなら俺の方が上だと異心を起こすだろう。家臣たちの結束が失われてしまうのだ。
 しかし逆に、家臣たちから見ても惚れ惚れするような武力があれば、自らの主の強さに家臣たちはその忠誠心を強めるだろう。すなわち光武帝は、賈復、馬武、臧宮、呉漢らの当時の最強将軍たちから見ても敬服に値する武力があったから、このような戦い方をしたということなのだ。光武帝は彼ら最強将軍たちに見劣りしない武力を持っていたと見なければならない。ここで敢えて光武帝自身が戦ったのは家臣たちに見せるためなのだ。
 そしてこの戦いに随行していた外国の使者である馬援は、主の隗囂に次のように報告している。
「未だかつてこのような明主を見たことがありません。才能は人を遙かに越え、その武勇は人間の敵対できるものではありません。心を開いて誠意を見せ、人と語るとき長所も短所も隠すことがありません。天下への大略を持ち、為し得るすべての恩を施します。用兵や戦略では敵を正しく計って勝利します。心が広くて大義を重んじることは高祖と同じです。儒教の経典に博識で、政治や文章は比べられる人もいません。事務に長けて、行動に節度があり、お酒を飲みません」
 ここではさまざまな説明をしているが、その中で最初に語られるのが武勇であることを見逃してはならない。光武帝について考えると、何よりも先に思い浮かぶのが武勇の人というイメージなのだ。そしてその武勇は、人間の域を超えていると述べているのである。

 光武帝は、自らのアイデンティティーを武人であると認識していた。それは光武帝の言葉から読みとることができる。
「妻をめとらば陰麗華、官につくなら執金吾」
 これは、光武帝の若い頃の言葉だが、執金吾とは首都の警察長官のことである。武人の憧れの職業といってもよいだろう。この頃から既に自らの武力に自信があったということだ。
 かつて息子の明帝に兵法を問われたとき、
「昔、衛の霊公が陣法を孔子に質問したが孔子は答えなかった。これはそれはそなたの及ぶところではない」
 と答えている。明帝も光武帝も、光武帝という人物を武人と捉えているのである。
 耿純には、
「純は年若くして甲冑を着て戦う将軍であったに過ぎないのに、郡を治めるとすぐにこのように慕われるほどになろうとは」
 と述べている。耿純も自分も武人であるという共感があってこその台詞である。文人と思ってこれを言えば嫌みになってしまう。
 馬援には、
「伏波(馬援)が兵法を論じると、いつも私と同じ意見になる」
 光武帝はいつもこのように感嘆し、その計略は常に採用された。すなわち、自分の兵法論が正しいから同じになる馬援も正しいという、自身の兵法への自信の言葉でもある。
 臧宮には、
「常勝の将軍は敵を恐れるのが難しい。私自身もそれに気をつけているのだ」
 と言った。自らを常勝の将軍と自認しているのだ。
 光武帝は天性の武人であり、勇者であったのである。

 こうしたことを頭に入れて伝記を読むと光武帝の行動の謎が解ける。それまで儒教的史観による聖人解釈では不自然だった行動が解きほぐれていくのだ。
 お忍びで深夜まで狩猟に出かけたこと。刺客がいまだいてもおかしくない乱世に、平然と微行で出かけ、家臣に止められてもやめなかった。かつて百万敵中を自在に駈けぬけた光武帝にとって、自分の首都で敵を恐れるなど馬鹿馬鹿しかったに違いない。
 馬援と警備なしで面会したこと。未だ敵国かもしれない国の使者である馬援と、警備も武装もなく一対一で面会した。馬援は私が刺客だったらどうするのかと驚いたのだが、これも刺客だとしても返り討ちにするだけのことかもしれない。
 敵の親衛隊長である馬武を呼び出して一対一で面会したこと。馬武は後に光武帝の将軍となり、無敵の猛将として活躍する。光武帝にとっての関羽、張飛である。邪魔な人物である謝躬を暗殺しようとして、敵の親衛隊としてその馬武がいたために中止したとき、光武帝は馬武を呼び出して一対一で面会した。驚くべき行為だが、より驚くべきは馬武の反応である。馬武は「(私は)臆病で兵法も知りません」と、まるでおびえていたような反応なのである。馬武は率直かつ単純な性格で頭に浮かんだことを何の遠慮もなく口にする男であり、しばしば問題を起こした。すると、この馬武の発言は謙遜でなく、文字通り光武帝に呼び出されて恐怖したと考えねばならない。馬武はかつて昆陽の戦いで光武帝とともに戦い、光武帝の戦闘能力を知り尽くしていたのだ。光武帝は馬武が恐怖するほど強かったのである。
 光武帝陣営の関羽、張飛というと、賈復、馬武の2人である。この2人が常に先鋒となり、敵を打ち破ったのである。賈復は自らを一番と考え、何事においても人に譲らず、出しゃばって自慢をする男である。ところが賈復も光武帝の前ではおとなしくなり、光武帝の前では一度として自分の功績を誇ったことがなかったのである。賈復は光武帝の親衛隊長のような存在で、いつも光武帝と一緒に戦っており、賈復もまた光武帝の戦闘能力を知り尽くしていた。
 最強の関羽、張飛級の2人ですら、光武帝には敵わなかったと推測できる。
 さらに項羽と比べてみよう、項羽がかつて章邯を破ったとき、大量の敵軍の降伏をもてあまし、すべて穴埋めの皆殺しにしてしまった。光武帝は銅馬を破り大量の兵士を降伏させたが、逆に自ら武装を解いて敵中に分け入って巡回し、彼らを完全に掌握してしまったのである。これはまさに真の勇気のエピソードである。
 そして統一後は戦いを捨て、戦争という言葉を耳にするだけでも怒り出したという。武人としての強いアイデンティティを持つ光武帝が武を捨てるというのは、並大抵のことではない。まさに君子豹変という語の原義にふさわしい、これまた真の勇者であることを示すエピソードである。

《秀丽江山》


中国大陸で出ている小説《秀丽江山》。
光武帝を扱った長編小説。全四巻と長い。
オープニングは現代で、現代の主人公の少女丽华が、
流星群を見に行ってなぜかタイムスリップして、陰麗華として生きるらしい。
ちょっと《十二国記》を思わせる展開でスタートする。
かなり評判のよい小説らしく、中国アマゾンでも評価が高い。
基本的にラブストーリーだそうな。
私はまだタイムスリップしたところまでしか読んでないけど、
よく調べて書いてると、評判も高いので完読するつもり。

火鳳三國

台湾の三国志のゲームもたいがいだなあ……

終極三國

台湾の三国志関連のドラマ。
三国志を現代の学園ドラマにしたらしい。
登場人物の名前が全部三国志の登場人物。
アイドルコスプレドラマ?
見れば見るほどシュールだ……


akinator

akinator
というゲームをやってみた。
こちらのイメージする人物をコンピュータが質問しながら当てていくもの。
Girl's Generationのテヨン、ジェシカ、ティファニー、ユリとKaraのニコルを当てたので驚き。
Girl's Generationは9人全部知っているみたいだ。

で、本命の光武帝を試すと、当てられず……。
かわりに出てきたのは李世民だった。まっ、惜しいと言えなくもない。
諸葛亮は当てた。劉秀はどうも単に知らないらしいので、申告しておいた。

中世とは何か?

 ヨーロッパではローマ帝国の分裂した4世紀からルネサンス期までをいう。
 日本史では鎌倉時代から戦国時代までとされる。
 古代と中世の違いは、中央集権の度合い。中世は地方政権に分裂した時代なのである。
 中国史ならば三国時代から宋建国までが相当するだろう。
 古代の後になぜ中世が現れるのか?
 それは生産力の向上と情報の移動の問題である。生産力の向上は地方分権への力となる。対して中央集権に必要なものは情報、物資、人間の集中である。あらゆるモノを中央政府に吸い上げることができてこそ中央集権が維持できるのだ。
 古代の統一王朝の成立は騎馬の発達により収集力が高まったことによる。中央へと軍事力、税の物資、情報が吸い上げられるようになったのだ。
 古代が中世へと移行するようになるのは、生産力の向上である。これは主に農業改革によるものである。これにより中央が吸い上げられる以上の物を生産できるようになり、地方が権力を持つようになった。生産力が増えても運送技術も情報技術も変化がなかったため、世界は分裂するのだ。
 注意点は中世は暗黒の衰えた時代ではなく古代よりも発達した時代であること。
 中国史では後漢が最後の古代王朝である。中国では前漢の末期より潅漑と牛耕より生産力が向上し、中世へと向かう条件が整いつつあった。しかし前漢では、その生産力を中央のものとすべく塩鉄の専売や強制労働などで押さえ込んでいた。国営商業システムにより抑圧していたのだ。古代王朝が中世への移行を阻止していたのである。その究極形が王莽である。
 後漢は全く違った。生産力の向上の阻害要因はすべて廃止し、地方を発展に任せ、ただ軍事力のみを中央に集中したのである。それも中央の軍事力を高めるのではなく、地方の軍備を減らすことで中央集権を維持したのだ。
 その結果、後漢王朝は古代の専制統一王朝として古代政治体制でありながら、発展した中世の経済を持つことになった。政治は古代、経済は中世というあり得べからざる体制が、時代の変革期に奇跡的な繁栄をもたらしたのである。

牛郎织女故事的起源 - 刘秀和阴丽华

  七月七日是鹊桥相会的日子(七夕)。七夕是中国的民间故事。最古老的记录在《诗经》里。但在《诗经》里他们还没有谈恋爱。这两个人开始谈恋爱的是汉代以后。
  那么汉代到底有什么事呢?
  下面我想讲一下东汉时代最有名的夫妻的故事。就是东汉建国的光武帝刘秀和其皇后阴丽华。
  刘秀有很多有关牛的故事。他成为皇帝以前,在故乡种田的。他是一个勤奋的年轻人,每天拉牛耕田。然后战争开始的时候,他骑牛出战。还有他做皇帝的时候,他用牛拉的战车,跟北方的匈奴作战。他在泰山封禅的时候,一个神牛来看他。他做皇帝的时候,用牛耕田的方式普及到了中国全国。他的故乡南阳是一个有名的牛的产地。
  皇后阴丽华和刘秀是青梅竹马之交,她是一个有名的美女。阴丽华的家很富裕,但生活很朴素,她自己亲手织布。
  他们俩在战争开始的时候结婚。可是当时的皇帝不喜欢刘秀的才干,让他一个人去河北,阴丽华在南阳等待他。刘秀和阴丽华隔着银河...隔着黄河分开了。
  几年后,刘秀当了皇帝把阴丽华接来,后来他们一起幸福地生活。
  他们俩和牛郎织女的关系,在《汉书》和《后汉书》上能看到。刘秀出生之后,牵牛星旁边出现了很大的彗星,阴丽华去逝之前在织女星旁边出现了很大的流星。
  我想刘秀和阴丽华是牛郎织女故事的起源之一,你们觉得呢?

正义的超级英雄是存在的!?

  那个,这本书要开始写有点意外的话题。我问读者。在电影或者动漫里描写的正义的英雄是怎样的人?
  第一,他看起来不太强。平常他很明朗,周围的人都喜欢他,绝对不怕他,甚至有点儿轻视他。可是一旦出了大事,他会突然发挥自己潜在的能力,打倒敌人。
  他的身材不是很高大,仔细看的话,应该很帅。他是很帅的演员扮演的,理所当然。还有他战斗的样子特别帅,必须达到孩子们想学他的程度。
  帅的不只是样子,台词也要有型。他应该留下许多给后代人用的台词。
  他打倒敌人,当然他特别强。他是个拥有超人战斗能力的无敌英雄。
  可是平常好战的人不行。说打就打的人绝对不行。在别人艰苦战斗的时候到来,拯救他们,打倒敌人。和最重要的强敌战斗的时候,亲自战斗,收拾战局。在最关键的时候出现,在最出色的场面活跃的人就是英雄。
  有时候他跟强敌苦战,那时也大胆地说两三句笑话,摆脱困境。战斗中严禁哭诉。
  英雄有逃避不了的要战斗的理由。过不情愿的战斗人生是他的宿命。
  可是他强的应该只是战斗场面。平常,特别是对女性和孩子们很温柔。
  英雄当然有谁都慕的漂亮的女朋友。她性格很温柔,内心很坚强,有时反对英雄让他服从。恋爱关系是女人比男人强比较好。他们应该是终生相敬相爱,但英雄本身在女性当中并不是很有人气。这种英雄的故事,想看让孩子们着的故事,有点不自然,故事上的英雄不受女人欢迎。
  虽然他平易近人,但是有些忧郁的地方。因为补充他那个地方的人就是他的女朋友。
  社会境况看起来是平和稳定的时代,但是里边有腐败。这个呢,明显是混乱时代的话,不出乎意料的故事,没意思。
  他平常不显眼地平凡地过日子,名字也很平凡。女朋友的名字也很单纯。但为了让读者容易记住他们的性格和样子,应该取表现容貌和特征的名字。
  还有英雄必须出色的拯救很多人的性命,保护许多人。那这里,至少拯救一千万人的人就可以说是英雄吧。还有他不管做多么棒的事情,都不傲慢或者骄傲,其他的人也没有事的样子和他亲切地说话。英雄本来不喜欢摆架子,讨厌居人之上,有平等思想的人就可以说是英雄。
  战斗胜利之后,给世界带来和平,英雄和女朋友互相拥抱,故事的结局是大团圆。
  真的是空想的真实机会主意的故事。达到这些条件一半的人也没有吧。这是不能实现的梦想的故事。
  可是,并不一定是这样。有达到所有这些要求的空想上的人。这就是这个书的主人公东汉光武帝――刘秀。

东汉光武帝 简介

●故事
  三国时代的大约两百年前,公元一世纪的中国。新国皇帝王莽的儒教政治失败,叛乱军的更始帝取代王莽,但弊政继续,到了群雄割据的时代,一位将军刘秀独立建国,平定群雄,统一天下。

●变幻自如的英雄刘秀
  他出生于公元前5年1月15日晚上,公元57年3月29日逝世(用阳历换算)。字叫文叔。南阳郡蔡阳县人。异名叫白水真人。身高170cm、他鼻子很高,口大,前额突出一点儿。
  年轻的时候,他老实地种地,然后到长安求学当了学生。钱不够就买驴子,用驴子做买卖,可是他的内幕是帮助逃亡者的侠客。到了乱世,他大显身手成为将军,最后成为皇帝。他也是一个研究儒学的学者。
  他性格很宽容,常常饶恕别人的错误,作为"至仁"的皇帝而出名。他不会喝酒,可是喜欢宴会。还有喜欢骑马远出,在屋里读书。他特别喜欢说有意思的故事,常常说到第二天的早上。微服出宫去玩很多,是一个平易近人的皇帝。

●一些趣闻
  他的学生时代,当时有一位大臣同姓同名叫刘秀,有个谣传,说这位大臣会成为皇帝。宴会上也说到这个话题。当时刘秀开玩笑说「成为皇帝的刘秀就是我吧?」。在座的人都哄堂大笑。
  成为皇帝以后,他访问老朋友,晚上一起睡。可是这个老朋友的睡相不好,他的脚放在刘秀的肚子上。那天,天上的帝星旁边出现了超新星,朝廷的天文官惊讶地报告给他。他说那是我朋友的星。
  有一天他去很远的地方玩儿,深夜回到宫殿,门已经关了。他说自己是皇帝,露出面孔,但看门的不开门,所以他一直在外边徘徊。第二天他叫来看门人,赞扬他遵守法律,给他奖赏。
  他回故乡的时候,当地的小官员请求他免去税金,当然他拒绝了。这个小官员对他说「您真小气,吝惜钱!」。他大笑,免了一年的税金。
  在宴会的时候,他排列美人画的屏风,高兴地耀,一位家臣斥责他,他惊慌地收拾起来。

●达到绝顶的勇士
  将军时代,他带一把剑出战场,变了一个英勇的战士。他仅仅带领着三千人,向一百万敌军冲剌,斩首大将军,全歼敌军。后来他当皇帝,率领十万大军,他仍然自己冲入战场奋勇杀敌。士兵们感叹「他的英姿好像天上的将军一样!(真天人也!)」。人们称赞「他的武力超过人类!(其勇非人之敌)」
  可是他的家人和朋友都不知道他的武力,在战场上看到他大吃一惊。
  他和天上的星座再生的二十八位将军、马援等名将,统一天下。他作为一个重视友情和爱情的人出名。他和并肩作战的将军们的友谊终生不变。他的爱情也一样,和青梅竹马的妻子阴丽华(而且她是当时有名的美人),幸福过了一辈子。
  他统一天下以后,扔掉剑,推进和平主义。得到"武"的绝顶后,扔掉"武",他是历史上唯一实现这种理想的人物。废除征兵制度,人权平等化,经济自由化,普及识字教育等,他实行为了老百姓的政治,后代的历史家称赞他,实现了传说时代以上的繁荣。
  他很喜欢开玩笑,觉得使别人快乐就是他人生的意义。可是他最爱的妻子阴丽华说过「我不喜欢开玩笑!」……从这里我们大概可以明白他的幽默的水平吧。

谁都比不上刘秀大哥!

  在日本有很多人喜欢中国历史,特别喜欢三国时代。有的人看完了三国志,就想知道中国其他的时代。其中最注目的是光武帝。
  日本有很多历史书。看历史人物的故事,就能学习他们成功的诀窍。想要学习成功的经验,建议您阅读光武帝的故事。
  光武帝是古代中国的皇帝,名叫刘秀。他的纪录在『后汉书』,写得很详细。看『后汉书』就明白他是很伟大,很有趣的人。但是几乎所有的日本人不知道他是什么样的人,而中国人也不太熟悉。
  光武帝出生在公元前六年。他是大约2000年以前的人。一世纪初,王莽的"新王朝"很混乱,形成了群雄割据的战国时代。光武帝当了将军,经历许多战争,最终成为皇帝,统一天下了。他开的王朝叫"东汉"。
  光武帝虽然是古代人,但是他的想法非同寻常。
  光武帝在统一的过程中解放了奴隶,制定"卖人法"和"略人法"限制了人身买卖。他说"这个世界上,人就是可贵",就去掉在刑法上奴隶和一般人的差别,成了平等。
  他还把官吏裁减了一半,把军队削减到十分之一,保障了人民的生活。
  他的政治特别严格,绝对不允许受贿的官吏,无论怎样著名的大臣也不能逃脱惩罚。后来他的政治被称赞为"把人民放在最首位的政治"。
  一位日本的历史学家说,"光武帝把古代中国发展为中世纪"(※日本东洋史的时代划分跟中国的不一样)。别的历史学家说,"秦始皇帝作了中国,东汉光武帝作了中国人"。因为光武帝很有学问,振兴学术,发展儒教、道教、佛教,他的东汉成了中国的主要思想全部出齐的时代。
  光武帝有很多故事。
  光武帝有28名的家臣。当时以为28名家臣是由中国的28个星座(二十八宿)而成的。因为光武帝和28个家臣总是并肩作战,彼此深信不疑,那一个人终生也没对立了。类似水浒传的故事。
  光武帝有美丽的妻子,她叫阴丽华。两个人是青梅竹马。他们的关系也终生不变,阴丽华在36岁的时候当了皇后,她的大儿子成了下子的皇帝。
  不过最有意思的还是光武帝本人。光武帝很喜欢开玩笑,让周围的人哄堂大笑。
  他说话轻松,他行动也很轻松。光武帝常常微服出去寻欢作乐,所以大臣、将军不说,隐士、路过的行人也对他说话很随便。
  有一天光武帝去了郊外的县,那县的小官吏知道他是皇帝,所以说"今后十年请免税"。光武帝回答:"天下的事情很重要,我一天又一天地担心我的政治好不好。不能考虑这么长时间。" 小官吏说"陛下说得太夸张,只是吝惜金钱而已。" 光武帝听了这句话,哈哈大笑,决定把今年的税免了。
  光武帝是中国的皇帝,大概是当时地球上最高的掌权者吧。而且他是将军,在战场上自己拿挥刀的勇士,他杀了数不胜数的人。这种可怕的人一般不能随便说吧?所以我觉得他是像电影中的周星驰似的人。
  我对光武帝特别感兴趣,到时候我想写一本有关他的小说,将来你如果在书店里看见了那本书,请一定给捧捧场吧!

推心置腹

銅馬軍を心服させたエピソードは、
光武帝ストーリーのベスト5に入る名場面と思う。

推心置腹のエピソードは『後漢書』と『資治通鑑』で少し記述が違う。
『資治通鑑』では、銅馬軍に動揺があっただけでなく、
劉秀の将軍たちも銅馬の降伏を信用していなかったと書かれている。
元は『東觀記』のようだ。

すると敵はもちろん味方までが
劉秀の行動に賛同していなかったということだ。
将軍たちは項羽にならって銅馬軍の穴埋めを計画していたかもしれない。
銅馬軍の中を軽装で巡回したのは、おそらく劉秀の独断なのだろう。
まさに敵も味方もすべてが対立して一色触発の状態にあっのだ。

銅馬の兵士からは「蕭王は俺たちを信じている」という声が上がったのは、
銅馬軍が蜂起するタイミングをうかがっていたことを示す。
その目の前に無防備な敵の大将が現れたわけだから、
まさに絶好の機会だったわけだが、かえって恐ろしくなったのだろう。
ここで劉秀を討ち取ってしまえば、また河北は大混乱に陥るからだ。

この場面は銅馬軍の再蜂起計画や、
光武帝の将軍側の銅馬壊滅計画などをうまく織り込んで描くと、
素晴らしく感動的な名場面になると思っている。

英雄の喜怒哀楽の比較

正史に登場する英雄の喜怒哀楽のシーンを数えてみた。※古いものに項羽と劉邦を追加。
     笑う 怒る 泣く
劉秀    20 14  3
曹操    25 12 11
劉備     3  8  6
孫権    15 18 11
李世民   10 19 16
項羽     1 11  2
劉邦    12 15  2

 資料による制限があるので、数の多さ少なさにはそれほど意味はなく、価値があるのはその比率。
 劉秀が笑ってほとんど泣かない。3回のうちの一回は兄の死で、隠れて泣いていたので、実質ほとんど涙を見せないと言って良い。
 劉備と李世民は同じ型。クールな二枚目型の英雄はこの形になるのだろう。
 曹操が意外と怒らないのが不気味。怒る前に殺すからか。
 笑いということでは、三枚目キャラである劉秀と曹操にかなうものなし!子どもキャラの孫権がそれに続く。
 李世民が声がかけにくそうなのは、笑う数の2倍近く怒っているから?
 項羽、笑わねえなあ……。これじゃ怖くて話しかけられないよ。しかも項羽の笑いは、死の直前に故郷への船を断るシーン一回。それって笑う場面じゃねえよ。切なすぎ。
 劉邦はなかなかよく笑う。これが人の意見を容れる度量か。泣かないのも特徴。2回のうちの1回は義帝への儀式としての涙なので、実質一回なのだ。
 泣く回数というのは、自制心を示している。劉邦や劉秀が天下を取り曹操が取れなかったのは、曹操に自制心が不足するためだ。
 すると項羽はどうか?
 思うに項羽は案外自制心は高いんじゃないかと思う。ただ誰もまともな意見を言わなかったのではないか。その証拠に陥落した城の少年が皆殺しを止めるように言うと、それには従っている。ほとんど笑わない項羽は怖くて意見する人が少なく、たった一人の范増が早く去ってしまったのが致命的だったのだと思う。
 すると李世民は……たぶん才能で押し切ったのかも。天賦の才はこの人がトップだろうし。いやもしかして単に泣き虫なだけ?
 劉秀の3回の涙は、兄劉縯が殺されたとき隠れて泣いていたもの(痕跡から馮異にバレた)、来歙が刺客に刺されて瀕死で書いた手紙を読んで涙がはらり、祭遵が棺で帰ってきたとき号泣して崩壊状態の3つ。……やっぱ劉秀と祭遵ってデキてるよな。
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Author:akira080227
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