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支配者でなくリーダーであること

劉秀の性格について考えていて、特徴的だと思ったことは、
人に命令しないこと。
杖罰でも、他の皇帝は打てと命令するのに、
劉秀は、命令するより先に自分から動いている。
とにかく命令を出して人を動かすということをあまりしない。
まず自分が動いて、後から人がついてくる。
指示を出すのではなく、俺がやるから真似しろ、というタイプ。
人の上に立つのが好きじゃないのがよくわかる。
本物のリーダー(リードする人、導く人)である。
二十八将を遠征に派遣するときも具体的な指示はほとんどなく、
明らかに兵法的に間違っているときに注意する以外は勝手にやらせている。

上に立つ人が何でも自分からやってしまうので、
部下もやらなきゃしょうがなくなる、という形で部下を動かしていた。

こういう自分で何でもやるタイプの君主だと、
部下は何もしないし、部下に何もさせないことがある。
典型的なのは項羽で、自分一人で戦ったので負けてしまった。
あの曹操ですら、曹操自身が常に動くだけで、
同時に部下が領土を広げて戦いを展開することなどなかった。
劉秀の場合は全く異なり、部下は自分の判断で勝手に動いていた。
これは他の時代の英雄にもほとんどない本当に凄いことである。

また行動するときあまり人に相談しないのも印象的。
通常は軍師格の人がいて何でも相談するという英雄が多いなか、
劉秀はすべて自分で判断して動き、
そこに他の人が進言するというパターン。
主君も家臣も自主的であるところが特徴的だ。
求めに答えて動く人たちではなく、常に自ら動くのである。
しかも相互に相談もせずに動き、それで齟齬が生じない。
劉秀とその家臣団は、志の統一された理想的な集団であると思う。
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劉秀のポイントの高いところ

やはり戦争を止めたところ。
統一して剣を捨てたのが格好いい。
歴史上の建国の名君で、
戦いを止めることができた君主はほとんど皆無なのだ。
将軍出身の皇帝が、
自分の存在意義を捨てるようなことはなかなかできるものではないのだ。

しかもこれはただの比喩ではない。
統一のお祝いとして、外国からの使者が来て、
素晴らしい名剣や名馬が献上されたのだが、
それを惜しげもなく、一兵卒に下げ渡してしまったのだ。

また戦いという言葉を嫌い、気軽に戦争を口にする者がいると、
激しく叱りつけた。
戦場に出たことのない人間が、戦争の話をするのを非常に嫌っていた。

陰麗華の弟が大臣に取り立てられそうになったとき、
「私は戦場での功績がないから」と断った。
戦場を駆け抜けた二十八将などの戦士は、特別な存在だったのである。

歴史上の皇帝には、杖罰といって、
気に入らない家臣をその場で杖で打ち据える皇帝がいた。
隋の文帝や明の洪武帝、そして後漢光武帝である。
ただ光武帝劉秀は二人と少し違った。
文帝と洪武帝は、家臣を他の家臣に取り押さえさせて、
部下が杖で打ったり、ときには自分で打つのであるのが、
劉秀は自身が玉座から降りて杖を振り回すのだ。
そしてなんと相手は宮殿を走って逃げ回るのである。(笑)

戦場を知らぬ者が、戦を語り、戦争を進言などすれば、
劉秀は玉座から飛び降りて、
杖を振り回しあるいは剣を抜いて震え上がらせたに違いない。
「貴様はまことの戦場を知らぬ!」
こう一喝して、相手の側の柱を一撃したり、
あるいは服の一部を目にもとまらぬ早業で切り落とす。

めっちゃ格好いいなー、と思うんであります。

文帝と洪武帝の場合、そのまま打ち殺してしまうことが多々あり、
凄惨な場面なんだけど、
劉秀の場合は相手が「お許しを~」とか言って、逃げ回って、
トム&ジェリー状態となりコメディとして話が終わるのがなかなか面白い。

班婕

班婕がこんなに可愛くていいんでしょうか?
Chinese Cultural Relics-Painting:女史箴图下より
banjieyu

三国志の英雄たちの超級偶像(スーパーアイドル)劉秀

 三国志の英雄たちはみな光武帝劉秀の真似をすれば天下を取れると考えていた。
 劉虞は光武帝に似ているという理由で皇帝に擁立されそうになったし、袁紹が河北から統一を目指したのは光武帝を真似たものだし、曹操が敵の文書を読まずに焼き捨てたのも光武帝の真似である。孫権は呂蒙に光武帝みたいに戦場でも本を読めといい、魯粛との関係を光武帝と禹の関係と比較したりした。
 孫策はいつも光武帝とその家臣があの若さで戦場で活躍したことに憧れていた。
 そもそも漢の復興を考える孔明が次に戦場になるのが確実な南陽などに隠棲したのは、光武帝の故郷だからである。
 さらに孔明と曹植は光武帝と家臣の論評を手紙でやりとりした。そこでは二十八将などの家臣が有能かどうかが議題になったが、光武帝が凄いということについては疑問の余地がなく議論にすらならなかった。
 満田剛氏は、袁紹、袁術、曹操、劉備、劉虞はみな光武帝を意識していたとしている。
 三国志は、後漢末に始まる時代である。その時代の人々にとって人類史上最高の英雄とは後漢を建国した光武帝劉秀に他ならないのである。

生没年

光武帝の生没年の西暦換算を載せていたが、あれはユリウス暦らしい。
今のグレゴリオ暦だと、紀元前5年1月13日生、西暦57年3月27日没のようだ。

陰麗華は錬金術師一族の娘

葛洪の神仙伝には、
陰長生は後漢新野の人であり、和帝の皇后陰氏はその曾孫とある。
南陽の馬明生に道術を学ぶこと20年、太清金液神丹を授けられたという。
長生陰真人は『太清金液神丹経』という書を残したらしい。
後漢書では、和帝の皇后陰氏は、陰麗華の兄陰識の曾孫とある。
陰長生と同族であることは疑いない。
陰氏の先祖には竈の神を祀ることで大金持ちなったという記録がある。
竈の神とは火を使う作業に関連する神であり、
錬金術に関連したことで大金持ちになったことを示唆しているのだ。

このことはもしかすると、
光武帝の死去の前後に功臣の死が集中していることや、
後漢の代々の皇帝が異常に短命であることなどが、
唐の皇帝と同じく毒物に関係していることを推定させる。

まあこういう暗い方面へのネタの使い方ではなくても、
錬金術、錬丹術師に関連する人物を出すのは面白いかもしれない。
プロフィール

akira080227

Author:akira080227
Darwinism Psychology
光武帝と建武二十八宿伝
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