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限りなく神に近い悪魔としての陰麗華[再掲載]

 東海恭王(てぃーえすのワードパッド)

 こういう話題があったので、古いネタを再掲載してみる。
 全く違う解釈も考えてみる。陰麗華を徹底的に賢いと考えるとすればどうか?
 陰麗華のすべての行動は演技であり、すべては計算尽くのことだったのだ。
 会う者、話す者すべてを自らの木偶と化す魔の女。身の回りに近づく者すべてマインドコントールし、支配する。さらに、無色無臭の弱いながらもじわじわと死に至らしめる毒を自在に扱う。逆らう者を、その笑顔ととも死への歩みへといざなうのだ。
 その心理をあやつる技術はほとんど魔術の域に到達している。劉秀の心を完全に支配し、息子劉荘を強度のマザコンにしてしまう。対立する郭聖通をじわじわと追いつめて狂気に至らしめ、早死にさせてしまう。
 その息子の劉彊も、明帝即位後に抹殺する。
 功臣の生き残りたちも劉秀とともにさり気なくかつ確実に消去していく。
 劉秀の死は西暦57年。その2年前の時点で8人の功臣が残っていたが、一年ごとに、
 
 55年に賈復[功臣3位](残りは7人)
 56年に馬成[功臣17位](残りは6人)
 57年に劉隆[功臣16位](この年に光武帝崩御)(残りは5人)
 58年に禹[功臣1位]、耿弇[功臣4位]、臧宮[功臣14位]、劉彊[前皇太子](残りは2人)
 59年に王覇[功臣23位](これで残りは1人)
 
 劉秀とともにほとんどの功臣が亡くなっているのだ。最後まで残ったのは馬武[功臣15位]で61年没(これで二十八将全滅)である。ちなみに、雲台の三十二将まで幅を広げても62年没の竇融が残っているだけである。陰麗華より長生きした功臣は一人もいないのだ。
 どうせ陰麗華を賢い女と見なすなら、ここまで考えた方が面白い。しかし、意外に筋が通っているのが、怖いな……

 ちなみに陰麗華の一家は当時の有名な富豪であるが、それには理由があった。
 葛洪の『神仙伝』によると、陰長生という後漢新野の人がおり、後漢和帝の皇后陰氏はその曾孫と記録される。陰長生は南陽の馬明生に道術を学ぶこと20年、太清金液神丹を授けられたという。また『太清金液神丹経』という書を残したらしい。『後漢書』には、和帝の皇后陰氏は、陰麗華の兄陰識の曾孫とある。陰長生と同族であることは疑いない。
 陰氏の先祖には竈の神を祀ることで大金持ちなったという記録がある。竈の神とは火を使う作業に関連する神であり、錬金術に関連したことで大金持ちになったことを示唆しているのだ。さらに先祖を探ると斉の国で医師をしていた人物を見出すことができる。
 陰氏はこうした化学の方面の技術を持つ一族であり、それにより繁栄していたのである。

 ……毒も使えそうだね。それに後漢の皇帝がみ~んな短命なのも気になるし……

※追記
 一族だけにまさにの支配者一族!怖えー(笑)
 そして光の世界を支配するのは、陰麗華の愛する息子明帝劉である。※皇太子になるときに荘に改名。
 母子で、陰陽を制圧だ!
 つーか、さすが劉秀、自分の息子の名前までこんな付け方しているとは……
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アーサー王と円卓の騎士

最近、アーサー王と円卓の騎士を英語で読んだ。
円卓の騎士で私がすぐに思い浮かべたのが光武帝の二十八将。

二十八宿考察 ― 二十八将はどのように選ばれたか?

に書いたが、二十八将は後に生まれた伝説などではない。
もちろん次の皇帝の明帝が選んだものでもない。
光武帝が生きた同時代に伝わっていたことである。

円卓の騎士みたいに席を決めて選んだんじゃないかと想像している。
また二十八将はよく考えれば、水滸伝の原案でもある。

考えたら光武帝の方がアーサー王より昔の人なんだよな……

アーサー王の物語を読みながら、こういう話は光武帝でも作れるなと思う。
光武帝は若い頃は民間人だし、皇帝になってからも頻繁に宮殿を抜け出していた。
これなら歴史を気にせずエピソードをねつ造し放題である。

また当時の風潮や後漢書の記述は実にファンタジーに満ちている。
方術伝に出てくる、妖しい魔術師たち。
狂信的に取り憑かれた皇帝王莽。
飛び交う予言書。
暗躍する暗殺者たち。
天命を受けた二十八星宿の将軍、劉秀と陰麗華にまつわる天文記録。
昆陽の戦いの山場の突然の稲妻と暴風雨。実に妖しい。

きっと光武帝と二十八宿の物語は、
いつか東洋版『アーサー王と円卓の騎士』として有名になるに違いない!
やっぱマーリンは荘光(厳光)かな?

"やる夫が光武帝になるようです。"を読んで気合いを入れる

最近、手抜きで広告まで出てしまったので、
気合いを入れる意味で
"やる夫が光武帝になるようです。"
を読んだ。普通に面白い。
一気にまとめ読みしちゃった。
ただしAAの元ネタ全然わかんないけど。

登場人物のイメージが私の持っているものと近いのが嬉しい。
……最重要人物の劉秀、陰麗華、禹はちょっと違うかな。
廉丹を倒したのが董憲であることが書かれていないのは残念。

内容で気になったのは、
・南陽の農業
 南陽は米作地帯なので、稲のはず。粟じゃないよ。南陽の主要農業は水稲とされる。牛を使い、専用の肥料を投じて、潅漑を利用した米麦の二毛作とも言われる。
*米田賢次郎(1991)『中国古代農業技術史研究』
・奴隷
 奴婢は西洋の奴隷とは全く異なるもの。自分を買い戻して良民に戻った記録も実在する。奴婢は個人の私物ではなく、国家の法のもとにあり、勝手に殺したりはできない。あくまでも契約関係なので、契約にない仕事をさせられることはない。王莽の息子王獲が奴を殺したとき、息子に自殺させたのも法を守る行為として行われた。また、西洋と違い、人口に占める割合もそれほど多くなかった。光武帝の略人法、売人法も、従来の法律の上に重ねて施行されたもの。
*好並隆司(1978)『秦漢帝国史研究』
・兵力数
 国淵の言葉は、斬首など戦功としての報告死傷者数を0を一つ増やすということであって、敵軍の人数記録の話ではないと思う。たとえば、岑彭が秦豊と戦って斬首9万余り、馬武が隗囂の追撃を防いで反撃したとき数千人殺したとか。このあたり0が一つ多いかもしれない。とはいえ、歴史書がそれを考慮して修正した後なのか、その前の数値なのかわからないので、当時の状況を確定するのはほぼ不可能。
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Author:akira080227
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光武帝と建武二十八宿伝
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