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推心置腹

銅馬軍を心服させたエピソードは、
光武帝ストーリーのベスト5に入る名場面と思う。

推心置腹のエピソードは『後漢書』と『資治通鑑』で少し記述が違う。
『資治通鑑』では、銅馬軍に動揺があっただけでなく、
劉秀の将軍たちも銅馬の降伏を信用していなかったと書かれている。
元は『東觀記』のようだ。

すると敵はもちろん味方までが
劉秀の行動に賛同していなかったということだ。
将軍たちは項羽にならって銅馬軍の穴埋めを計画していたかもしれない。
銅馬軍の中を軽装で巡回したのは、おそらく劉秀の独断なのだろう。
まさに敵も味方もすべてが対立して一色触発の状態にあっのだ。

銅馬の兵士からは「蕭王は俺たちを信じている」という声が上がったのは、
銅馬軍が蜂起するタイミングをうかがっていたことを示す。
その目の前に無防備な敵の大将が現れたわけだから、
まさに絶好の機会だったわけだが、かえって恐ろしくなったのだろう。
ここで劉秀を討ち取ってしまえば、また河北は大混乱に陥るからだ。

この場面は銅馬軍の再蜂起計画や、
光武帝の将軍側の銅馬壊滅計画などをうまく織り込んで描くと、
素晴らしく感動的な名場面になると思っている。
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英雄の喜怒哀楽の比較

正史に登場する英雄の喜怒哀楽のシーンを数えてみた。※古いものに項羽と劉邦を追加。
     笑う 怒る 泣く
劉秀    20 14  3
曹操    25 12 11
劉備     3  8  6
孫権    15 18 11
李世民   10 19 16
項羽     1 11  2
劉邦    12 15  2

 資料による制限があるので、数の多さ少なさにはそれほど意味はなく、価値があるのはその比率。
 劉秀が笑ってほとんど泣かない。3回のうちの一回は兄の死で、隠れて泣いていたので、実質ほとんど涙を見せないと言って良い。
 劉備と李世民は同じ型。クールな二枚目型の英雄はこの形になるのだろう。
 曹操が意外と怒らないのが不気味。怒る前に殺すからか。
 笑いということでは、三枚目キャラである劉秀と曹操にかなうものなし!子どもキャラの孫権がそれに続く。
 李世民が声がかけにくそうなのは、笑う数の2倍近く怒っているから?
 項羽、笑わねえなあ……。これじゃ怖くて話しかけられないよ。しかも項羽の笑いは、死の直前に故郷への船を断るシーン一回。それって笑う場面じゃねえよ。切なすぎ。
 劉邦はなかなかよく笑う。これが人の意見を容れる度量か。泣かないのも特徴。2回のうちの1回は義帝への儀式としての涙なので、実質一回なのだ。
 泣く回数というのは、自制心を示している。劉邦や劉秀が天下を取り曹操が取れなかったのは、曹操に自制心が不足するためだ。
 すると項羽はどうか?
 思うに項羽は案外自制心は高いんじゃないかと思う。ただ誰もまともな意見を言わなかったのではないか。その証拠に陥落した城の少年が皆殺しを止めるように言うと、それには従っている。ほとんど笑わない項羽は怖くて意見する人が少なく、たった一人の范増が早く去ってしまったのが致命的だったのだと思う。
 すると李世民は……たぶん才能で押し切ったのかも。天賦の才はこの人がトップだろうし。いやもしかして単に泣き虫なだけ?
 劉秀の3回の涙は、兄劉縯が殺されたとき隠れて泣いていたもの(痕跡から馮異にバレた)、来歙が刺客に刺されて瀕死で書いた手紙を読んで涙がはらり、祭遵が棺で帰ってきたとき号泣して崩壊状態の3つ。……やっぱ劉秀と祭遵ってデキてるよな。

リアル・スーパーヒーローとしての光武帝劉秀

冗談で皇帝になった男:あとがき(アマゾンの立ち読みするふうに……)
あとがき、あるいはの前書きの答え合わせ

(1)いかにも強そうではいけない
 身長170cmの平凡な体格。

(2)日常は気さくな人物であり
 冗談で皇帝になると言ったり、友人と戯れるのが好きな気楽な性格だった。

(3)軽んじられている
 兄の劉縯に劉仲と比較されたりした。

(4)突如その真の能力を発揮
 昆陽の戦いでは、気が小さいと思われた劉秀の凄さに周囲が仰天した。

(5)よく見ると二枚目 
 気勢形体、天然の姿と称えられる。また洛陽に入城したとき古老たちが涙を流したほど。

(6)戦うときの様子はとても格好良くて
 真天人也!(まことに天の人なり)と兵士たちが感嘆した。

(7)20代ならよいとしよう。
 挙兵時、28歳だった。

(8)後の時代にも生き続ける決め台詞をたくさん残さねばならない。
 劉秀の発言が成語となったものに、楽此不疲、得隴望蜀、有志竟成、疾風勁草、置之度外、差強人意、敝帚自珍、北道主人などがある。元気な老人を矍鑠と呼ぶのも劉秀より。

(9)人間離れした戦闘力を持つ
 其勇非人之敵(その武勇は人間に敵対できるものではない)と称えられた。
 
(10)喧嘩っ早いのはダメ
 劉将軍はいつも小さな敵にも臆病だと笑われていた。

(11)ここ一番本当の強敵と戦うときは、自らの手で戦い
 劉秀が確実に敵に斬り込んで戦ったことがはっきり記載されるのは、百万大軍との戦いである昆陽の戦い、部下の将軍を次々と打ち倒した最強将軍奉との戦い、抜群の知将として将軍たちを翻弄した董憲との戦いなど。

(12)不敵にジョークの一つ二つ言って切り抜けなければならない
 生涯唯一の敗戦のとき、矢玉飛び交う戦場を逃げながら「危うく捕虜になって笑いのネタになるところだった」と笑っていた。また「突騎が味方についた」と公言する相手に、そっくりそのまま「突騎が味方についた」と言い返した。
 
(13)ヒーローは戦わなければならない宿命を背負っていた
 昆陽の戦いの英雄として周囲の人望があり、また劉氏として亡き兄の志を継がなければならなかった。

(14)女性や子どもたちにはむしろ弱くなければならない
 叔母には宴会でネタにされ、姉や妻には振り回されっぱなしである。

(15)誰もが羨むような美人のヒロイン
 もちろん陰麗華である。

(16)ヒロインは心優しく芯の強い女性であり
 陰麗華は意志が強く、弱い者に優しかったと記される。

(17)時にヒーローに逆らい振り回したりする
 陰麗華のやることなすことすべて劉秀の意志に逆らうことばかりである。

(18)ヒロインと生涯にわたって相思相愛でなければならない
 劉秀、陰麗華カップルは生涯変わらず仲が良かった。

(19)ヒーロー自身はあまり女性にモテモテであってはいけない
 劉秀には、陰麗華、郭聖通、許夫人の三人しか女性が出てこない。歴代皇帝の中でも最小クラスである。

(20)性格は親しみやすいといっても、少しぐらいは心に影がある方がよい。
 戦場であまりにたくさんの人を殺したことをずっと心に病んでいた。兄の死についてもいつまでも忘れられなかった。

(21)一見平和に見える時代であり、その裏が腐敗している
 前漢末から王莽の新王朝の時代、人口は中国史上最高の5900万を記録するが、王莽の頻繁な法律変更は行政を大混乱に陥れ、地方官の搾取と専断の時代を生み出した。

(22)目立たない平凡な名前である
 秀というのはどこにでもある名前で、そのため同名の大臣がいた。
 
(23)ヒロインの名前もシンプルなのがよろしい
 麗華もどこにでもいる名前。ちなみに著者の知人にも麗華や秀という人がいる。2000年後の外国である日本人にも見つかるほど平凡な名前なのだ。
 
(24)性格や容貌をそのまま表現した名前でなければならない
 秀は見た目が良いという意味であり、麗華も美しいという意味である。顔の美しいことを眉目秀麗というが、秀麗とはまさに二人の名前を合成したものになっている。また面白いことに、現代中国語で秀とは、見世物、ショーの意味である。英語のshowを音訳したのだ。劉秀とは、劉君showなのであり、まさに光武帝の後漢建国の物語にふさわしい。
 
(25)一千万人以上の人命を救えば
 当時の後漢が統一したときの統計人口は2500万程度。一千万人以上救ったといえるだろう。

(26)他の人たちも何もなかったかのように親しげに話しかける
 叔母のほか、郷里の役人にはケチ呼ばわりされた。

(27)人の上に立つことを好まない平等思想の持ち主
 西暦35年3月6日にして人間の平等を宣言し、奴婢の不平等刑法を廃止した。宮殿の門限を破ったとき皇帝をも平等に扱って追い払った家臣を賞賛した。また人と話すときは相手の前まで降りて話したという。
 
(28)戦いに勝利して世界に平和をもたらし、本人もヒロインと抱き合ってハッピーエンド
 天下統一し、家族にも恵まれ、息子がそのまま次の時代の皇帝になった。
 
 ヒーローの条件が28あるのはもちろん、漢建国228年目に28歳で挙兵し28人の勇士と後漢を建国したという、劉秀の趣味に合わせたのである。

実在の人物なのに正義のスーパーヒーローの条件をすべて満たす光武帝恐るべし!

冗談で皇帝になった男:まえがき(アマゾンの立ち読みするふうに……)

正義のスーパーヒーローは実在可能か?
 ところでこの本は少し唐突な話題で始めようと思う。読者に質問だ。映画やアニメに描かれる正義のヒーローとはどんな人物だろうか?
 まずいかにも強そうではいけない(1)。日常は気さくな人物であり(2)、周囲の人たちに親しまれていても決して怖がられたりしておらず、むしろ軽んじられている(3)。しかしいったん事件が発生すると突如その真の能力を発揮して(4)、敵を倒すのである。
 見た目は強そうではないが、よく見ると二枚目(5)でなければならない。イケメン俳優が演じるのだから当然である。もちろん戦うときの様子はとても格好良くて(6)、見ている子どもたちが真似したくなるほどでなければならない。
 年齢も若くなければならない。おっさんや爺さんでは駄目である。ここでは20代ならよいとしよう。(7)
 格好いいのは見た目だけでなく、セリフも決まっていなければならない。後の時代にも生き続ける決め台詞をたくさん残さねばならない(8)。
 敵を倒すのだから、当然強くなければならない。人間離れした戦闘力を持つ(9)無敵のヒーローである。
 また日頃から戦ってばかりで好戦的ではいけない。喧嘩っ早いのはダメ(10)。むしろ他の人たちが苦戦しているところに現れて味方を救出し、敵を打ち倒すのだ。ここ一番本当の強敵と戦うときは、自らの手で戦い(11)ケリをつけねばならない。美味しいところを見事にかっさらっていくのがヒーローである。
 時には強敵と戦い苦戦するが、そんな時も不敵にジョークの一つ二つ言って切り抜けなければならない(12)。戦いに泣き言は禁物だ。
 だがヒーローは戦わなければならない宿命を背負っていた(13)。望まぬ戦いの人生を送らねばならないのは逃れ得ぬ運命なのだ。
 しかし強いのは戦うときだけでなければならない。日常、特に女性や子どもたちにはむしろ弱くなければならない(14)。
 ヒーローには当然、誰もが羨むような美人のヒロインがいなければならない(15)。そのヒロインは心優しく芯の強い女性であり(16)、時にヒーローに逆らい振り回したりする(17)。男女関係では多少情けないぐらいのヒーローがよい。ヒロインとは、生涯にわたって相思相愛でなければならない(18)が、ヒーロー自身はあまり女性にモテモテであってはいけない(19)。子どもにも見せたいヒーローモノの主人公は、不自然なことだが女性にモテてはいけないのだ。
 性格は親しみやすいといっても、少しぐらいは心に影がある方がよい(20)。その影を埋めてくれる人こそヒロインだからである。
 社会背景もまた一見平和に見える時代であり、その裏が腐敗しているのがよい(21)。最初から混乱した時代では、意外性がなくつまらないものだ。
 日常は目立たず平凡に暮らしているであるから、名前も目立たない平凡な名前である(22)。ヒロインの名前もシンプルなのがよろしい(23)。ただしわかりやすいように性格や容貌をそのまま表現した名前でなければならない。(24)
 そしてヒーローの活躍によりたくさんの人命が救われ、守られなければならない。ここでは少し少な目に、一千万人以上の人命を救えばヒーローと呼んでよいこととしよう(25)。そしてどんな凄いことをしてもヒーローは威張ったり自慢したりしないし、他の人たちも何もなかったかのように親しげに話しかけるのだ(26)。本能的に偉そうな奴が嫌いで、人の上に立つことを好まない平等思想の持ち主(27)こそヒーローに相応しい。
 そして戦いに勝利して世界に平和をもたらし、本人もヒロインと抱き合ってハッピーエンド(28)で終わるのだ。
 実にご都合主義の設定である。この条件を半分も満たすことのできる人物はいないだろう。実在が不可能な夢物語の設定である。
 ところがそうではなかった。この空想上の無理難題な条件(1)~(28)を一つ残らずすべてクリアーした人間がいたのだ。それがこの本の主人公である光武帝、劉秀なのである。
 そう、そもそもこれはスーパーヒーローについて書いたものではないのだ。これこそが『後漢書』――歴史的に真実が書かれているとされる歴史書――に描かれる光武帝の姿なのである。
 

光武帝を理想とした英雄たち
 これほど驚異的な人物であれば、当然高く評価する人たちがたくさんいる。
 まずは『三国志』の英雄たちである。
 この本を手に取った人には、同じ中国史モノとしてかなりの数の『三国志』マニアがいるはずだ。その『三国志』の英雄たちの心の中のアイドルこそ光武帝なのである。
 『三国志』の英雄たちはみな光武帝の真似をすれば天下を取れると考えていた。
 劉虞は光武帝に似ているという理由で皇帝に擁立されそうになったし、袁紹が河北から統一を目指したのは光武帝を真似たものだし、曹操が敵の文書を読まずに焼き捨てたのも光武帝の真似である。孫権は呂蒙に光武帝みたいに戦場でも本を読めといい、魯粛との関係を光武帝と禹の関係と比較したりした。
 孫策はいつも光武帝とその家臣があの若さで戦場で活躍したことに憧れていた。
 そもそも漢の復興を考える諸葛孔明が次に戦場になるのが確実な南陽などに隠棲したのは、光武帝の故郷だからである。
 さらに孔明と曹植は光武帝と家臣の論評を手紙でやりとりした。そこでは光武帝の二十八将などの家臣が有能かどうかが議題になったが、光武帝が凄いということについては疑問の余地もなく一致していた。
 『三国志』の研究者である満田剛氏は、袁紹、袁術、曹操、劉備、劉虞はみな光武帝を意識していたとしている。
 『三国志』は後漢末に始まる物語である。その時代の人々にとって人類史上最高の英雄とは後漢を建国した光武帝に他ならないのである。
 もちろんまだまだいる。
 特に有能で歴史を詳しく知る人物こそ光武帝を高く評価する。
 一人はまず司馬光である。司馬光とは北宋の時代に『資治通鑑』という歴史書を編纂した人物であり、『史記』を編纂した司馬遷と並ぶ二大歴史家である。
 司馬光はその著書で後漢論を書いている。後漢はおよそ二百年で滅ぶのだが、その後半は皇帝不在の無政府状態だった。ところがいつまでも滅びずに続いたのは光武帝の力だというのだ。二百年近く後の国家の盛衰まで左右したというのだから驚きである。光武帝があまりに凄かったためにその王朝を倒すのを誰もが嫌がったのである。そこで司馬光は、光武帝を伝説時代の聖王に匹敵する存在とした。
 二人目には岳飛を挙げよう。
 岳飛は南宋の名将であり、中国史上最高の名将と考えられている人物である。岳飛は、皇帝に親征して自ら北方の金と戦うように進言しているのだが、そのときに名前を挙げるのが光武帝なのである。戦場で戦う皇帝と言えば、真っ先に思い浮かぶのが光武帝というわけなのだ。
 三人目に中国史上最高の名君と考えられている唐の太宗李世民を挙げよう。
 李世民はその用兵において光武帝と類似した戦法を用いて天下を統一した。家臣を表彰するため、光武帝の二十八将を参考にした二十四人を選んで祭るようにした。忠臣の蕭瑀を光武帝の忠臣王覇と比較し、一番の腹心である房玄齢をいつも光武帝の腹心である禹と比較していた。
 四人目に北宋建国の太祖趙匡胤を挙げよう。
 趙匡胤は家臣への待遇について光武帝を参考にしていた。また心を開いて本心を隠さない性格であり、光武帝の故事である「赤心を推して人の腹中に置く」を実行していた。
 『三国志』のすべての英雄たちのスーパーアイドルであり、中国最高の歴史家が聖なる帝王と称え、中国史上No.1の名君と名将が手本とした人物、それが光武帝なのである。
 

時代背景
 しかしおそらく、この本を手に取った読者の多くは、光武帝なんて聞いたことがないか、名前だけしか知らないだろうと思う。そこで本文の前にいつ頃の人かざっと紹介しておこう。
 光武帝は、姓は劉、名は秀。古代中国の後漢王朝の初代皇帝である。紀元前5年1月15日生まれ、西暦57年3月29日没。西洋ではちょうどイエス・キリストと同時代だが、キリストが生没年もはっきりしないのに対して、光武帝の生没年月日は同時代に記録された公式記録である。
 古代中国の紀元前2世紀から紀元後2世紀までは、漢王朝が四百年続いたとされる。しかし実はその間に新という王朝があった。わずか20年足らずで滅ぶ短い王朝である。
 この王莽の新王朝を挟んで、それ以前の漢王朝を前漢、その後を後漢と呼ぶ。ちなみに現代中国では、前漢を西漢と呼び、後漢を東漢と呼ぶ。これは首都の位置が違っているためである。前漢の首都長安は、後漢の首都洛陽より西にある。
 この新王朝の末期から後漢の初期にかけて数十年間は群雄割拠の乱世であり、たくさんの豪傑や将軍が天下を争った。『三国志』と同じような状況と思ってよい。その中の将軍の一人が光武帝こと劉秀であり、天下を統一して王朝を開いた。劉秀はその名前の通り前漢皇帝の劉氏の一族であるので、漢王朝の復興を名目とし、自らの王朝をそのまま漢とした。
 ちなみに日本との関係でいうと、日本の古代史の謎の一つ、倭奴国王印という金印を贈ったのが光武帝である。
 この本は光武帝について史実の記録を元に解説する本である。時代は王莽の新王朝が成立する前、前漢の末期から始まる……

冗談で皇帝になった男 ― 中国五千年最強の皇帝・後漢光武帝の生涯

(目次案を実際に書く中で修正してみた・分量バランスが難しい……)

冗談で皇帝になった男 ― 中国五千年最強の皇帝・後漢光武帝の生涯
(帯)
 三国志の英雄たちが最高の君主としてあがめる後漢建国の光武帝・劉秀。その姿を『後漢書』の記述から解き明かしていくと、そこに現れたのは超ハリウッド級のスーパーヒーローだった!
 
《目次案》
序章.光武帝についての予備知識
 正義のスーパーヒーローは実在可能か?/光武帝を理想とした英雄たち/時代背景
 
1章.表はお気楽学生・裏は侠客
 誕生/郷里南陽にて/官につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華/長安でのお気楽学生生活/王莽の生い立ち/聖人か偽君子か/儒教復古主義か古代の社会主義者か/高句麗なんて下句麗だ/大臣劉歆の改名/皇帝なんて僕でもいいんじゃない?
 [コラム]前漢の首都長安と学問(長安の地図)
 
2章.百万vs.三千・昆陽の戦い
 反政府運動の拠点・南陽劉家/自称劉邦、兄劉縯の挙兵/緑林の盗賊たち/牛に乗って現れた救世主/酒乱皇帝・更始帝の即位/王莽、史上最大軍団を結集する/戦力差ギネス記録・昆陽の戦い/勝利と仲間割れ
 [コラム]謎の兵法書『三略』と光武帝
 
3章.天下大分裂・更始帝と赤眉
 徐母の挙兵/赤眉の挙兵/赤眉の名将董憲、更始将軍廉丹を討ち取る/緑林軍と更始帝、洛陽へ/九虎将軍全滅、王莽死す/グライダー作製と人体解剖/くじ引きで皇帝になった牛飼い少年/更始帝と赤眉の激闘
 [コラム]群雄割拠の勢力図
 
4章.河北に集結する二十八星宿
 占い師は皇帝の孫・王郎/疾風のみが勁草を知る/学友禹の訪問/政略結婚/策士寇恂/最強の突騎軍団の南下/騎兵と歩兵・漢代の戦争/内通者の手紙を焼き捨てる/敵を倒すのは朝飯前・猛将賈復/無敵の盗賊将軍馬武/赤心を以て腹中に置く・銅馬軍の降伏/光武帝即位
 [コラム]軍師禹・天下統一のシナリオライターは24歳
 
5章.戦う超人皇帝・中原統一への道
 流浪する赤眉軍の降伏/復讐の闘将奉、光武帝を引きずり出す/河南の皇帝劉永との決戦/中原震撼・敵中を駆け抜ける超人皇帝/韓信を超えた耿弇の張歩討伐/馬成の李憲討伐・完全戦法あり/赤眉の名将董憲散る
 [コラム]医の道へ転身した無敵の名将耿弇
 
6章.去り行く英雄たち・天下統一
 周の文王を目指した隗囂/馮異と空城の計/棺で凱旋した儒将軍・祭遵/隴を得て蜀を望む/向かうところ敵なし・名将岑彭/来歙と岑彭、暗殺さる/勇士延岑の決戦・死中に活を求む/大成皇帝公孫述死す
 [コラム]敵はすべて皆殺し・戦慄の猛将呉漢
 
7章.剣を捨てる・非戦平和主義へ
 名馬名剣は兵士に/匈奴を経済封鎖・西域も関を閉じる/ベトナム徴姉妹の挙兵/名将馬援の激闘/大規模センサスと内乱/循吏と酷吏・民衆こそ最優先/奴隷解放と人権宣言/徴兵制と塩鉄の専売廃止・学問の振興/史上唯一、創業と守成と継承に成功した皇帝/古代最高の平和、教育、経済を生み出した後漢/光武帝を超えるのはただ光武帝のみ
 [コラム]空気が読めない名将馬援=アスペルガー症候群説
 
8章.家族愛と友情・超ハリウッド級ハッピーエンド
 二十八宿伝説/功臣との定期宴会/予言書大好き/城を抜け出す/姉ちゃんの婿を捜せ/ひねりのあり過ぎる会話集/リンカーンと比べる/現代に通じる第五水準のリーダー/郭聖通と陰麗華/泰山封禅
 [コラム]劉秀、陰麗華と七夕伝説の誕生
 
あとがき、あるいはの前書きの答え合わせ

光武帝:主要な出来事の西暦

紀元前 5年 1月15日 光武帝生まれる
西暦  23年 7月 7日 昆陽の戦い
西暦  23年10月 6日 王莽の死
西暦  25年 8月 5日 光武帝即位
西暦  35年 3月 6日 人権宣言:奴婢の法改正
西暦  56年 3月27日 封の儀式(泰山封禅)
西暦  56年 3月30日 禅の儀式(泰山封禅)
西暦  57年 3月29日 光武帝死去

この日付は本の原稿に使う予定のもの。
問題点はこれがユリウス暦かグレゴリオ暦かわからないこと。
大差ないからまあいいかな。

理想を持たない君主としての光武帝

 英雄にはたいてい理想の人物として尊敬したり私淑する人物がある。劉邦が信陵君を好んだり、三国志の人物の多くが光武帝を理想としたようなものである。
 さて光武帝自身はどうか?
 実は光武帝はそういう理想像を全く持たない。兄の劉縯は劉邦を自負していたが、光武帝自身は誰か特定の人物を尊敬するようなことがなかった。光武帝は全くのノンポリであり、政治思想を持っていなかったため、理想像などないのである。それでも強いて挙げれば漢の文帝ということになるが。
 本質的に唯我独尊の人物であり、この点においても項羽に似たところがある。光武帝が謙虚な人物ではないことは、その発言の節々から見いだすことが可能である。
 光武帝はおとなしいと思われがちであるが、暴君との共通点が多い。怒ってぶち殺すと息巻くエピソードには事欠かない。しかし殺すと言って大騒ぎして殺さないのが光武帝の特長である。言葉を撤回して平気なのが光武帝の君主としての異常さである。
 これを単に、人の意見をよく理解できるから、などと考えてはいけない。言葉を撤回するというのは、その言葉の重みを疑わせることであり、そんなことが続けば君主の威信は失われ、誰も指示に従わなくなるからである。
 君主というのは間違った判断であっても、それを取りやめるより実行した方がよいのである。そしてそもそも間違わないことが求められる。
 これが何を意味するのか。
 これは光武帝の権力の圧倒的な大きさを意味しているのだ。どんなに発言や行動を撤回しても威信に影響がないほど絶大な権力を持っていたということである。
 光武帝とはそもそも軍人上がりの皇帝であり、その権力基盤は軍事力にある。統一後も、黎陽営のような皇帝直属の軍隊を維持していたし、功臣との関係も安定していた。光武帝は何かイベントがあるたびに功臣を集めて宴会したが、これはただ旧交を温めているのではない。自己の権力を示しているのだ。何かあれば一声で十万以上の大軍が集まることを示しているのだ。
 そのうえ光武帝は大臣の権力を奪って、皇帝に集中していた。歴史上ここまで皇帝に権力を集中させたことはなかったといってよい。光武帝の絶対性はあまりに圧倒的であり、基本的に何もやっても許される状態にあったのである。
 そしてだからこそ自らの高すぎる絶対性を崩す意味でも、簡単に撤回するのである。おそらく歴史上の皇帝の中で、意見や意志を変更した回数No1.は光武帝と考えてまず間違いないと思う。そしての結果が30年を超える在位をほぼノーミスでクリアすることにつながっているのである。

美女の運命

中国の美女ってみんな悲惨な運命の人が多い。
探しても幸福に天寿を全うしたケースがほとんどない。
卓文君と陰麗華ぐらいなのかねぇ……

劉邦過剰評価論

 普通、中国史の英雄をリストアップすれば、劉邦はベストテンにランクインすると思う。しかし私の評価ではベスト20にもランクインするのは難しい。
 劉邦は偉大な漢王朝を立てたため高く評価されるわけだが、実際の漢の王朝の歴史を見れば、劉邦はその基礎部分を作っただけである。漢王朝が偉大なのは、文帝、景帝、武帝と名君が続いて国が大きくなったからだ。漢王朝の偉大さは4人で作ったものであり、劉邦の功績は30~60%ぐらいと見るべきである。
 劉邦が死んだときの権力の大きさはとても秦の始皇帝とは比べものにならない。領土を見てもそれほど大きいわけではない。始皇帝は、匈奴と南越を平定したが、劉邦は匈奴に敗退し南越は放置したまま、地方には諸侯国があって間接統治である。漢が世界帝国になるのは、文帝、景帝、武帝のおかげである。

 劉邦の人物としての凄さは人間的魅力と考えられることが多い。
 しかしこれも疑問である。陳平の評価を見よう。

 項羽は礼儀正しいので、義を知る者が集まるが、物を惜しむので野心家が集まらない。劉邦は礼儀がないので、義を知る者は集まらないが、物を惜しまないので、利益を好む者が集まる。

 人間的魅力そのものには大差がないのだ。おそらく現代の読者が人気投票しても、項羽と劉邦には大差はないのではないかと思う。
 違いは知力であった。はっきり言えば項羽は騙されやすいのだ。だから謀略によって切り崩すことで劉邦は勝利したのである。当時は項羽と劉邦の二者択一の時代である。劉邦の家臣の多くは、劉邦に魅力を感じたのではなく、反項羽同盟として劉邦の傘下に加わっただけなのだ。
 その現実を示すのが劉邦の死後の家臣の行動である。劉邦の子どもが次々と殺されていくのに誰も止めようとしない。誰も劉邦に恩など感じておらず、国が安定していれば劉邦などどうでもよかったのである。反項羽同盟だからである。
 劉邦は本質的に謀略の人である。人の使い方もまた計算によって行われている。黥布と面会したとき、傲慢な態度で面会してそのプライドを砕き、そしてその後に厚遇することで心をつかんだ。これが完全に計算であることは顔師古も指摘している。人を物と見て計算で応対するのが劉邦である。
 劉邦が愛情豊かな人物などではないことはエピソードからすぐ理解できる。項羽に敗戦して逃亡するとき、子どもを何度も捨てたこと。妻子や家族を項羽の人質になったまま平然と対決していたこと。劉邦の人間のタイプとして近いのは、曹操や司馬懿であるが、農民出身であるため知識に限界があること、参謀ではなく君主であるため露出度の高さから統計的に失敗が多くなり、謀略の印象が弱くなっているだけなのである。

 劉邦の偉大さは、始皇帝の統治による愚民政策が生んだ空白時代のたまものである。劉邦がもしも他の時代に生まれていたら、天下統一はおろか小さな国を立てることも難しいだろう。天才は生まれてくるのではなく、時代が生み出すもの。劉邦という個人は全く偉大でも何でもないのである。
プロフィール

Author:akira080227
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