スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中世とは何か?

 ヨーロッパではローマ帝国の分裂した4世紀からルネサンス期までをいう。
 日本史では鎌倉時代から戦国時代までとされる。
 古代と中世の違いは、中央集権の度合い。中世は地方政権に分裂した時代なのである。
 中国史ならば三国時代から宋建国までが相当するだろう。
 古代の後になぜ中世が現れるのか?
 それは生産力の向上と情報の移動の問題である。生産力の向上は地方分権への力となる。対して中央集権に必要なものは情報、物資、人間の集中である。あらゆるモノを中央政府に吸い上げることができてこそ中央集権が維持できるのだ。
 古代の統一王朝の成立は騎馬の発達により収集力が高まったことによる。中央へと軍事力、税の物資、情報が吸い上げられるようになったのだ。
 古代が中世へと移行するようになるのは、生産力の向上である。これは主に農業改革によるものである。これにより中央が吸い上げられる以上の物を生産できるようになり、地方が権力を持つようになった。生産力が増えても運送技術も情報技術も変化がなかったため、世界は分裂するのだ。
 注意点は中世は暗黒の衰えた時代ではなく古代よりも発達した時代であること。
 中国史では後漢が最後の古代王朝である。中国では前漢の末期より潅漑と牛耕より生産力が向上し、中世へと向かう条件が整いつつあった。しかし前漢では、その生産力を中央のものとすべく塩鉄の専売や強制労働などで押さえ込んでいた。国営商業システムにより抑圧していたのだ。古代王朝が中世への移行を阻止していたのである。その究極形が王莽である。
 後漢は全く違った。生産力の向上の阻害要因はすべて廃止し、地方を発展に任せ、ただ軍事力のみを中央に集中したのである。それも中央の軍事力を高めるのではなく、地方の軍備を減らすことで中央集権を維持したのだ。
 その結果、後漢王朝は古代の専制統一王朝として古代政治体制でありながら、発展した中世の経済を持つことになった。政治は古代、経済は中世というあり得べからざる体制が、時代の変革期に奇跡的な繁栄をもたらしたのである。
スポンサーサイト
プロフィール

Author:akira080227
Darwinism Psychology
光武帝と建武二十八宿伝
新書中心主義
電脳書庫(affiliate 本棚)
感情の系統図&意識の回路図

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
FC2カウンター2
現在の閲覧者数:
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。