スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

朕、百姓に益するところ無し

 光武帝は非常に大きく誤解されている皇帝である。
 ひどいのは豪族に推戴された皇帝で権力が弱かったというもの。
 事実は完璧に正反対である。光武帝政権は、民衆の支持をベースにした軍事独裁政権で、皇帝の権力は中国史上最大であった。光武帝は自ら将軍として、中国全土の敵対するものすべて叩きつぶした武人皇帝である。統一後もその軍事力を完全掌握し続けた光武帝の権力は絶大であった。とにかく後漢王朝では、皇帝以外に一切権力がないのだ。そのため皇帝が若くして亡くなって幼帝が続くと、外戚と宦官が権力を握って争うようになった。皇帝の親戚と、皇帝の使用人が、皇帝の権力を借りることで権力をふるうようになったのである。
 後漢王朝の晩期になると、やっと豪族もわずかに力を持つようになる。そして政権を左右しようと挑んだ結果が、党錮の禁である。豪族たちはなすすべもなく権力争いに敗れて散ってしまったのであった。

 光武帝の凄さを挙げれば、武勇、平等、ユーモアの3つである。ところがこれらは儒教においては全く評価されないものである。そのため史書では武勇は目立たないように隠されて書かれているし、平等を示す人権政策もただ記録があるだけだし、ユーモアのエピソードも笑いよりも知恵のエピソードになっている。
 その結果、光武帝の凄さは知られずに埋もれたままだったのである。

 もちろん光武帝にも問題点があった。有名なのは怪しげな予言書を信じたとされることだが、これも誤解がある。他の時代において予言書を信じた者は、そのために誤った行動をして失敗するが、光武帝にはそれがない。というのも、光武帝は予言書を信じたのではなく、現実が予言されていると信じていたのである。そのため現実に合わない予言は無視されたのだ。光武帝は運命論者ではあったが、迷信深いと考えるのは誤りである。

 光武帝で本当に非難するべきことは、その統一戦争である。光武帝は中国全土を戦場にして戦って天下統一したため、凄まじい死傷者が出ていた。新の崩壊から後漢の統一にかけて、人口は半減し、二千万人以上の人命が失われたと考えられている。これを光武帝の責任と考えるのは明らかに酷であるが、光武帝が高祖劉邦のような謀略家であれば、このような結果にはならなかっただろう。もちろんその場合、高祖のような貧弱な政権しか樹立できないが、失われた人命はより少なく済んだはずである。
 私が敢えてこれを指摘するのは、明らかに光武帝自身がそう考えていたからである。光武帝は統一後、戦いという言葉を嫌い、戦争を徹底して回避するようになる。やむを得ない混乱で死傷者が出るとそのたびに死人が出たことを後悔していた。
 光武帝は徹底して民衆の立場に立ち、豪族などが権力をふるうのを嫌っていた。その政治は「以元元為首(民衆を最優先にする)」と呼ばれるようになる。
 光武帝の最期の言葉、死に際しての詔の言葉は、光武帝が最期まで民衆のことを考えていたことを示す、衝撃的な言葉で始まっている。
「朕無益百姓(私は民衆に何もしてやれなかった)……」
スポンサーサイト

宮城谷昌光、光武帝連載始まる

 すべってころんでエンディング経由で知った。

 次の朝刊小説 宮城谷昌光作「草原の風」
 後漢王朝の創始者、光武帝・劉秀。武勇と人徳で、奪われた国を取り戻す英傑の若き日々が躍動していきます。

 おおっこれは!? 私の本も出しやすくなるかもしれん。版元に説明しやすくなるじゃん。期待大。
 でも宮城谷光武帝だと、すんげぇ真面目な人間になりそう。なんでも聖人化しちゃうもんな……
 それでも武勇とユーモアと、ポイントは押さえてある感じが嬉しい。この二つこそ光武帝の必須要素だもん。
 期待と不安が混じるのは宮城谷先生にユーモアという言葉がイメージできないことか……。
 しかし決して塚本光武帝(笑)のようなことにはなるまいて。
 ああっ、でもよく考えたら宮城谷先生だと、最初の2冊はきっと光武帝の親父の話に決まってる。劉秀くん出て来ないに決まっているうぅ!が~ん。
プロフィール

akira080227

Author:akira080227
Darwinism Psychology
光武帝と建武二十八宿伝
新書中心主義
電脳書庫(affiliate 本棚)
感情の系統図&意識の回路図

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
FC2カウンター2
現在の閲覧者数:
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。