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後漢洛陽は二百万都市か?

 後漢王朝は商工業が大きく花開いた時代であった。当時書かれた『潜夫論』には、農地を捨てて手稼ぎに出る人が多かったこと、首都洛陽では農民は人口の10%でしかなかったことが記されている。
 農業をやめて商工業へと転職する人が多く、首都洛陽は遠く出稼ぎに来る人であふれかえっていた。洛陽の人口は、戸籍記録では30万程度にすぎないが、ここには三万人を数えた学生や、大臣とその家族、軍隊などは含まれていない。あくまでも洛陽に農地を持つ本籍地が洛陽の人の人口である。仮に本籍地のある人の半数が農業をやめたとしても農民人口は15万であり、その九倍の商工業人口を合わせると洛陽の人口は150万人となる。実際『後漢書』には、後漢末に董卓が洛陽を破壊したとき、洛陽には数百万の人口がいたことが記されているのだ。
 歴史上の有名な百万都市には、エジプト王朝のアレキサンドリア、ローマ帝国のローマ、唐王朝の長安、日本の江戸などがあるが、その国の人口は3000万~5000万人程度であり、みな後漢より小さな国である。商業の発展した後漢の首都洛陽の人口は百万以上、おそらくは二百万近かったと考えてよいのではないかと思う。
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