スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

天上の剣客/東漢光武帝記・人物分析&設定4 劉秀

 なぜタイトルが"天上の剣客"なのか?
 光武帝の話の問題点は、それが三国志の曹操vs劉備、楚漢の項羽と劉邦のような対称的な二人のライバルの対決という構図でないことである。
 すなわち、歴史群雄抗争ものとして描いてもそれほど面白くないのだ。
 そこで私が考えているのは、剣侠ものとして描くこと。剣士としての劉秀を描くという構想である。
 私は劉秀の剣士のとして戦いを描くことで、真の勇気というものをテーマにした小説にすることができるのではないかと思う。
 昆陽の戦いの勇戦ぶりや、皇帝になっても戦場で戦う戦士であることなどはその強さを示している。しかし、こうした実際に殺す数においても劉秀は驚異的であるが、むしろ殺さないことにおいて劉秀は真の勇気を発揮した。それは銅馬軍を降伏させたとき、軽装で巡回することで心服させ殺さずに済ませたことや、統一後は戦いを嫌って平和主義に徹したことである。
 建国の英雄は戦場から離れることができないものだ。統一したらさらに外国へと戦いを向けてしまうのだ。その史上唯一の例外が光武帝である。
 およそ戦場の勇者の価値はまさに戦うことにある。戦いを否定することは自己を否定することに他ならない。これこそ真に勇気の必要なことである。君子豹変するという。劉秀はまさに豹変を実行した人物である。
 劉秀には剣士として描く利点がたくさんある。
 若い頃、逃亡者を匿う侠客であったこと、皇帝になってからも頻繁に宮殿を抜け出していたことなどはそうした剣士の対決の物語として描いても、歴史事実を破壊しないということである。
 話のスタートは長安での学生時代と南陽での農民時代であるが、そこでは逃亡者を助ける正義の味方として描くことができる。将軍、皇帝となってからは、戦場での戦いと、付け回してくる刺客との戦いを描くことができる。特に劉秀によって滅ぼされたり、戦争に巻き込まれて死んだ人たちの復讐の刺客との激闘を描くのが面白い。いわゆる典型的な腕の立つ刺客だけでなく、色っぽい女刺客とか、復讐に生きる少年の刺客とか、あるいは息子を失った老婆の刺客とか、相当に重い種類の刺客との戦いが劉秀を待ち受ける。
 古今東西の剣士、侠客をモデルにした人物が、次々と劉秀を襲い対決するという構想である。そこではただ倒すだけでなく、歴史の悲しみの中で復讐に生きる人たちといかに和解することができるのか、帝王としてこの世の全ての責任を背負うことになった人物には、ただ強いだけではない勇気の形を示すことが求められる。
 これを描いてこそ、戦争という言葉だけでも怒り出したという、統一後の劉秀の気持ちが理解できるようになるだろう。
 ちなみに天上というのは、皇帝だからではない。小説の第一回と最終回に関する駄洒落になるように構想している。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

akira080227

Author:akira080227
Darwinism Psychology
光武帝と建武二十八宿伝
新書中心主義
電脳書庫(affiliate 本棚)
感情の系統図&意識の回路図

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
FC2カウンター2
現在の閲覧者数:
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。