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後漢王朝と現代史の比較

 光武帝は古代の名君であり、平等思想の強い善意の独裁者だった。大臣からほとんどの権限を奪い、絶対権力を持っていた。
 "善意の独裁者"で、思い浮かべたのが、現代史における東アジアの指導者である。朴正煕やマハティールなど。自己の権限を守るためには強引な手段も用いるが、自身の利益は追求せず、教育を普及させ、経済を発展させた。
 光武帝もまた、自らの利益には全く興味がなく、資産を蓄えるようなことはなかった。学問の振興にはとても力を入れており、太学の建設や地方の学校の整備、近衛兵への孝経を教育などを行った。初等教育も広く普及しており、10歳-14歳のすべての子どもに必ず学校に通わせるように指示が出ている。後漢における学生の多さは、著名な学者に付き従って流浪する学生の数からも推測できる。
 後漢王朝は経済的にも発展し、戸籍人口は最終的に前漢全盛期とほぼ同じ数にまで回復したが、それは戸籍漏れの人口の増大を無視したものなので、実際には前漢よりも遥かに経済発展していた。領土も西域経営に積極的ではなかったので小さいと錯覚するが、ベトナムや南方の開発が進んで国家の重心が南に移動しただけで、後漢は前漢より発展した国であった。
 経済的には国家の統制が外れたため自由経済が発展したが、その半面、貧富の差も激しくなった。格差問題は後漢後半期における大きな問題であった。
 後漢はその後半期の皇帝不在の無政府状態に100年近くも耐えた。格差問題と政府の腐敗は、太学の学生たちによる学生運動を生み出し、政府への社会運動となった。

 こうして見ると、後漢の歴史はまるで現代史を思わせるから不思議だ。後漢は開発独裁国家ととても類似しているのだ。

 だが時代は古代である。精神の発達に物質経済がついて来ることができなかった。学生運動の後の勝利の革命はなかった。大規模な飢饉と経済崩壊、農民反乱と軍閥割拠の乱世へと時代は移行して行く...
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