儒教的史観が光武帝の実像を覆い隠す
中国の歴史書は、次の時代の王朝によって書かれる。そのため前王朝の君主を悪く描き、今の新しい王朝の開祖を良く描くと言われる。
しかしこれはあまり正確な考えではない。
正しくは、史書では新王朝の開祖を儒教的聖人になぞらえ、旧王朝の君主を暴君になぞらえる。具体的には、新王朝の開祖は周公として、最後の君主は殷の紂王になぞらえられるのだ。これが儒教的史観である。
たとえば、唐太宗李世民と隋の煬帝、劉邦と項羽/始皇帝の関係などが典型的である。
では光武帝の場合はどうか?
光武帝も儒教の聖人に、対する人物として王莽が暴君紂王として描かれるわけである。
ところがこれが大問題を生じる。というのも、王莽はその人物がまさに儒教的聖人を身を以て体現した人物であり、逆に光武帝は武力による力ずくの天下統一をなした将軍だからである。すなわち、実像は王莽こそ聖人であり、光武帝は暴君に似ているのである。
王莽は暴君になぞらえることで、その志を低く疑われて描かれている。能力という面では事実通りとしても心理面は正しく評価されないわけである。
さらに問題なのは光武帝である。およそ光武帝ほど儒教的聖人から遠い人物はない。光武帝の政治は法家であり、他人に対する態度は道家であり、自らの行動は墨家である。光武帝は儒教から実に遠い人物だ。
光武帝は、何もかもすべてを自分から行う人物である。政治でも戦場でも自らの力を尽くすことで人を従わせた。劉邦と項羽の関係で言えば、項羽のやり方で天下を取ったのである。
さらに、官僚に対する厳しい態度、兵士や民衆に対する徹底した平等主義など、現代人から見れば素晴らしいと思われる施策も、儒教的観点からすれば虚妄に過ぎず全く評価されない。儒教は身分階層を肯定する思想だからだ。そのため淡々とスルーされてしまい、評価もされないのだ。奴隷解放や平等宣言などがその典型である。
さらに武人としての名将であること、勇者であることも無視される。これなど、周公でなく紂王の要素だからである。
儒教史観での光武帝は、その驚くべき先進性は全く無視されてしまい、ありもしない儒教的要素を強調するため、あまりパッとしないように見えてしまうのである。
しかしこれはあまり正確な考えではない。
正しくは、史書では新王朝の開祖を儒教的聖人になぞらえ、旧王朝の君主を暴君になぞらえる。具体的には、新王朝の開祖は周公として、最後の君主は殷の紂王になぞらえられるのだ。これが儒教的史観である。
たとえば、唐太宗李世民と隋の煬帝、劉邦と項羽/始皇帝の関係などが典型的である。
では光武帝の場合はどうか?
光武帝も儒教の聖人に、対する人物として王莽が暴君紂王として描かれるわけである。
ところがこれが大問題を生じる。というのも、王莽はその人物がまさに儒教的聖人を身を以て体現した人物であり、逆に光武帝は武力による力ずくの天下統一をなした将軍だからである。すなわち、実像は王莽こそ聖人であり、光武帝は暴君に似ているのである。
王莽は暴君になぞらえることで、その志を低く疑われて描かれている。能力という面では事実通りとしても心理面は正しく評価されないわけである。
さらに問題なのは光武帝である。およそ光武帝ほど儒教的聖人から遠い人物はない。光武帝の政治は法家であり、他人に対する態度は道家であり、自らの行動は墨家である。光武帝は儒教から実に遠い人物だ。
光武帝は、何もかもすべてを自分から行う人物である。政治でも戦場でも自らの力を尽くすことで人を従わせた。劉邦と項羽の関係で言えば、項羽のやり方で天下を取ったのである。
さらに、官僚に対する厳しい態度、兵士や民衆に対する徹底した平等主義など、現代人から見れば素晴らしいと思われる施策も、儒教的観点からすれば虚妄に過ぎず全く評価されない。儒教は身分階層を肯定する思想だからだ。そのため淡々とスルーされてしまい、評価もされないのだ。奴隷解放や平等宣言などがその典型である。
さらに武人としての名将であること、勇者であることも無視される。これなど、周公でなく紂王の要素だからである。
儒教史観での光武帝は、その驚くべき先進性は全く無視されてしまい、ありもしない儒教的要素を強調するため、あまりパッとしないように見えてしまうのである。


