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理想を持たない君主としての光武帝

 英雄にはたいてい理想の人物として尊敬したり私淑する人物がある。劉邦が信陵君を好んだり、三国志の人物の多くが光武帝を理想としたようなものである。
 さて光武帝自身はどうか?
 実は光武帝はそういう理想像を全く持たない。兄の劉縯は劉邦を自負していたが、光武帝自身は誰か特定の人物を尊敬するようなことがなかった。光武帝は全くのノンポリであり、政治思想を持っていなかったため、理想像などないのである。それでも強いて挙げれば漢の文帝ということになるが。
 本質的に唯我独尊の人物であり、この点においても項羽に似たところがある。光武帝が謙虚な人物ではないことは、その発言の節々から見いだすことが可能である。
 光武帝はおとなしいと思われがちであるが、暴君との共通点が多い。怒ってぶち殺すと息巻くエピソードには事欠かない。しかし殺すと言って大騒ぎして殺さないのが光武帝の特長である。言葉を撤回して平気なのが光武帝の君主としての異常さである。
 これを単に、人の意見をよく理解できるから、などと考えてはいけない。言葉を撤回するというのは、その言葉の重みを疑わせることであり、そんなことが続けば君主の威信は失われ、誰も指示に従わなくなるからである。
 君主というのは間違った判断であっても、それを取りやめるより実行した方がよいのである。そしてそもそも間違わないことが求められる。
 これが何を意味するのか。
 これは光武帝の権力の圧倒的な大きさを意味しているのだ。どんなに発言や行動を撤回しても威信に影響がないほど絶大な権力を持っていたということである。
 光武帝とはそもそも軍人上がりの皇帝であり、その権力基盤は軍事力にある。統一後も、黎陽営のような皇帝直属の軍隊を維持していたし、功臣との関係も安定していた。光武帝は何かイベントがあるたびに功臣を集めて宴会したが、これはただ旧交を温めているのではない。自己の権力を示しているのだ。何かあれば一声で十万以上の大軍が集まることを示しているのだ。
 そのうえ光武帝は大臣の権力を奪って、皇帝に集中していた。歴史上ここまで皇帝に権力を集中させたことはなかったといってよい。光武帝の絶対性はあまりに圧倒的であり、基本的に何もやっても許される状態にあったのである。
 そしてだからこそ自らの高すぎる絶対性を崩す意味でも、簡単に撤回するのである。おそらく歴史上の皇帝の中で、意見や意志を変更した回数No1.は光武帝と考えてまず間違いないと思う。そしての結果が30年を超える在位をほぼノーミスでクリアすることにつながっているのである。
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